小和田哲男氏が『太閤素性記』を信用する理由

上の記事を書いたきっかけは、小和田哲男豊臣秀吉』(中公新書)に以下のようなことが書いてあったからだ。

私は、民間伝承や民間説話のなかにこそ、むしろ、秀吉におもねった大村由己の皇胤説や、小瀬甫庵の創作よりも真の秀吉出自が語られているように考えている。そして、その点では国文学の分野からの松田修氏による研究や、民俗学の分野からの小林信夫氏らの研究がかなりの成果をあげてきている点も注目しなければならないと思われる。

松田修氏による研究」とは、『太閤素性記』と説教節「愛護(あいご)の若」が類似していると指摘したということ。


俺は原文を読んでないし、「愛護の若」も知らないんだけれど、小和田氏によると、

要するに、説教「愛護の若」と『太閤素性記』の共通性が示す事実は、松田氏の指摘にある通り、日吉山王縁譚であり、貴種流離譚という、日本の民衆の地肉的文芸方法をとり、一般民衆の間に「太閤伝説」がひろまっていく要因となったように思われる。

ということらしい。


俺に理解できないのは、そのように『太閤素性記』に、伝説的な要素が入っていることを理解しながら、なぜ『太閤素性記』を信用するのかということ。俺は全く逆に「だからこそ歴史史料としては信用できない」と思うのだが…


俺が考えるに、小和田氏の頭には、「権力者の作った伝記=意図的に歪曲されたもの」・「民衆の作った伝記=素朴なもの」という対立構図があるのではないだろうか?正直理解に苦しむけれど、そのくらいしか思い浮かばない。


だが、俺はそうは考えない。そもそも俺は「小瀬甫庵ら」が書いたものが事実と異なるとしても、そこに陰謀論的なものを持ち込むことを好まないのだが、たとえそうだったとしても、一方の民衆の側(民衆といってもネタ元は武士階級だと思うけど)だって、権力におもねった説話は作らないのかもしれないけれど、史実と異なる伝説を流布することに関しては「小瀬甫庵ら」と異なるところはない、あるいはそれ以上ではないかと思うのである。


(マスコミは信用できないがネット情報は信用できるの類だろうか)