『太閤素性記』の類話(その5)の続き。
ところで、「灰坊(民話想)」を見ると「灰坊」の話には馬が出てくる。ネットでその他の「灰坊」も見てみると馬が登場する話が多い。シンデレラにも魔法の馬車が登場するけれど関係あるのかわからない。しかし日本の「灰坊」で馬が重要な物語要素になっているのは間違いない。
なぜ馬が出てくるのか確かなことはわからないけれど、俺は「灰坊」の原型において「灰坊」に猿の属性があったのではないかと思う。
猿と馬の関係については「猿と馬」「厩猿信仰」「厩神」で検索すればいっぱい出てくるのでここでは説明しない。
⇒サル(猿と馬) - Wikipedia
⇒厩神 - Wikipedia
ところが『太閤素性記』では秀吉は馬を連れていない。
それじゃあ、「灰坊」と『太閤素性記』が類話なんてのは間違いで、関係ないのではないかという疑問が発生するかもしれないけれど、実は『太閤素性記』をよく読めば、
遠州浜松へ来らる。浜松の町はずれ牽馬の川と云辺に白き木綿の垢のつきたるを著て立廻らる。
ここに「牽馬(ひくま)」という地名で「馬」はしっかり登場しているのだ。猿が馬を牽くといえば「西遊記」が有名だが、日本にも猿が馬を牽く絵馬などがある。
なぜ『太閤素性記』の太閤伝説で秀吉が浜松まで遠征するのかといえば、要は「牽馬」という地名を登場させたかったからだろう。だから、お姫様が飯尾豊前の娘である必要など本当はないのだ。単に曳馬城の城主が飯尾豊前だったから白羽の矢が立っただけだろう。
というわけで、豊臣秀吉が本当に浜松まで遠征したのかといえば、極めて怪しいということになるし、それに付随したエピソードも怪しいということになる。
秀吉が猿に似ていた根拠として『太閤素性記』を取り上げる学者もいるけれど、それは伝説を本気で信じているということになる。歴史学者は荒唐無稽な話(だとみなすもの)は即座に否定するけれど、「猿に似ている」という実際にありそうな話だと割と簡単に信じてしまうのだ。
歴史学であっても「神話・伝説」をもっと深く研究する必要があるだろう。
※過去記事
⇒秀吉と河童(トンデモ第二弾)
※なお『太閤素性記』によると飯尾豊前の娘は名を「キサ」と言い、朝比奈駿河守に嫁いだ。著者(土屋知貞?)の祖母だという。太閤伝説は祖母から聞いた話のように受け取れるけれど、事実だとは到底思えない。ただし祖母から聞いたというのは、太閤伝説のことではなくて、「キサ」の母(著者の曾祖母・お田鶴の方)の武勇の逸話であるように受け取れなくもない。
⇒飯尾連竜 - Wikipedia
(追記2/15)
祖母から「秀吉浜松において松下加兵衛方え出て三年居給ふ内の事」について聞いたそうだ。