淀君は貶められたのか(その2)

さっきウィキペディアの「淀殿」の記事見たら加筆されていた。
淀殿(ウィキペディア)


昨日のつづき。


ちょっと説明が足りなかったと思うんだけれど、徳川にとって淀君は家康に逆らった「逆徒」なわけですね。だから淀君を批判するのは当然。もちろんこれは徳川から見たらの話であって、豊臣からみたらそうではないんですけど。だからこれで「貶めた」というのは正しいといえば正しいけれど、歴史でよく使われる「貶めるために」ってのはそういうのとは違うと俺は思うんです。


こういう場合、言っている当人はそれが真実だとし、貶められて当然の人物を貶めるのは正当な行為だというスタンスですから、それは「貶めた」と言えば十分であって、「貶めるために」という場合にはそれ以上の意味が含まれていると思うんです。


「貶めるために」という語は、そういう批評的なことじゃなくて、史実を捻じ曲げるとか、ありもしなかったことをでっち上げるとか、そういうことがあったと考えられる場合なんかに使われているんだと思うんです(あと当時は常識だったけれど現代人は気付かない場合とかもあるか)。まあ、厳密な区別はないのだろうけれど。


で、徳川幕府がそんなことしたのかなあってのが俺の昔からの疑問。徳川が善だったとかそういう意味じゃなく、そんなことやってメリットあるんだろうかってことで。