2024-01-10から1日間の記事一覧

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その4)

家康は一揆勢との和議の条件「寺内を前々のごとく」を「前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよ」という屁理屈によって反故にした。一般的にはこれは家康の「背信行為」であり、卑怯なことだと考えられている。よって家康にとって不都合な話であり、隠蔽…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その3)

徳川家康は「前々のごとく」という起請文を交わしたにも関わらず、「前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよ」という理屈で一向宗寺院を破却したと『三河物語』に書いてある。これは家康の「背信行為」だとされている。 この逸話がなぜ『三河物語』に書か…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その2)

昨年の大河ドラマ「どうする家康」でもやってたが、三河一向一揆のときに家康が一揆側と「前々のごとく」という約束したにもかかわらず「前々」は野原だったのだからと、一向宗寺院を破却したという話が『三河物語』に書いてある。 其後土呂、春崎、佐崎、野…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その1)

『三河物語』は『徳川中心史観(松平・徳川中心史観)」によって書かれているとし「徳川中心史観からの脱却」を主張する研究者は多い。だが本当に『三河物語』は徳川中心史観の書なのであろうか? 著者の大久保忠教(1560~1639)は江戸初期の旗本。徳川家臣…