日本の幽霊の手(その2)

例の霊の手の絵を見つけた。
幽霊を描いた作品を紹介する「うらめしや〜、冥途のみやげ展」が開催されます。 | 弐代目・青い日記帳 


歌川国芳民谷伊右衛門 市川海老蔵・お岩亡霊 尾上菊五郎天保7年(1836) 」
歌川国芳《浅倉当吾亡霊》嘉永4年(1851)」

この2つの絵は、幽霊の手といえば思い浮かべる形に非常に近い。どっちも歌川国芳作。

歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。

歌川国芳 - Wikipedia

※ちなみに円山応挙は1733年-1795年。


歌川国芳がルーツなんだろうか?ただし絵は歌舞伎を描いたものだから歌舞伎がルーツなのかもしれない。でもそれなら他の絵師が描いたものもありそうなものだが今のところ見つけられない。さらにいえば歌舞伎に限定しなくてもこの幽霊の手の形を描いている絵師が歌川国芳のものしか見つからないので、これが評判となって幽霊の手のステレオタイプが出来上がったとさえ言い切れない。円山応挙のそれっぽい絵も単発だったように思われるし、これも同じかもしれない。


調査続行


※ そもそも手どころか三角形の布(宝冠)を額につけてる絵も見ない(1件だけあったが詳細不明)し、白装束の絵は無いことはないけれど、それが死に装束なのかといえばそうかもしれないけれど、そうでないのかもしれない。

ナポレオンとウェリントンの末裔

「ワーテルローの戦い」200周年記念の芳ばしさ: 極東ブログ
この記事見るまでそんなイベントがあったなんて全く知らなかった…

 式典にはベルギーのフィリップ国王夫妻ら各国の王室や政府関係者のほか、ナポレオンやウェリントンの末裔も出席。今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす。

ワーテルローで記念式典 世紀の戦いから200年 - 47NEWS(よんななニュース)


式典に参加したナポレオンの末裔って誰なんだろう?と調べたらボナパルト家の家長の座は競合状態にあるそうだ。といっても実の親子なんだけど。

1997年に父ルイ・ナポレオンが死去した時、その遺書には後継者としてシャルルではなく、その息子のジャン・クリストフ・ナポレオンの名前があった。しかしシャルルは父の意向を無視してナポレオン公およびボナパルト家家長の地位を継承した。このためボナパルト家家長の座は1997年以降、父と息子のあいだで競合状態にある。ただし、シャルルによれば息子ジャン・クリストフとの関係は険悪なものではなく、またシャルルは自分の推定相続人にジャン・クリストフを指名している。

シャルル・ナポレオン - Wikipedia
ジャン・クリストフ・ナポレオン - Wikipedia

で、式典に参加したのは息子のジャン・クリストフだそうだ。ジャン・クリストフはHEC経営大学院を卒業。現在米プライベートエクイティアドベント・インターナショナルの投資マネージャー。


一方、ウェリントンの末裔はアーサー・モーニントンという侯爵。
Arthur Wellesley, Marquess of Douro - Wikipedia, the free encyclopedia
プライベート・エクイティーのチャーターハウス・キャピタル・パートナーズの投資マネージャーなんだそうだ。

夫人はジェマ。夫人の妹はスーパモデルのジョディ・キッド。
Jemma Wellesley, Marchioness of Douro - Wikipedia, the free encyclopedia
Jodie Kidd - Wikipedia, the free encyclopedia


当初は祖父の第8代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが参加する予定だったが去年の大晦日に亡くなったそうだ。


※ ところで今年は200年ということで大々的にやっているけれどイベント自体は毎年恒例のものであって、日本でやってる「川中島合戦絵巻」みたいなもので、政治的な意味はあまりないと思われ。「和解」というのも日本でいえば信長の子孫と光秀の子孫が握手したみたいな話であって、王室の人もいるけれど国家を代表してというような大層なものではないと思われ。


※ なおアメリカでは南北戦争で同様のイベントをやはり毎年全米各地でやっていて、2011年が開戦150周年だったそうだ。
南北戦争150周年、「ゲティスバーグの戦い」を3日がかりで再現 米 写真31枚 国際ニュース:AFPBB News
今年は戦争終結150周年ということでまた盛り上がってたみたい。