日本の幽霊の手(その2)

例の霊の手の絵を見つけた。
幽霊を描いた作品を紹介する「うらめしや〜、冥途のみやげ展」が開催されます。 | 弐代目・青い日記帳 


歌川国芳民谷伊右衛門 市川海老蔵・お岩亡霊 尾上菊五郎天保7年(1836) 」
歌川国芳《浅倉当吾亡霊》嘉永4年(1851)」

この2つの絵は、幽霊の手といえば思い浮かべる形に非常に近い。どっちも歌川国芳作。

歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。

歌川国芳 - Wikipedia

※ちなみに円山応挙は1733年-1795年。


歌川国芳がルーツなんだろうか?ただし絵は歌舞伎を描いたものだから歌舞伎がルーツなのかもしれない。でもそれなら他の絵師が描いたものもありそうなものだが今のところ見つけられない。さらにいえば歌舞伎に限定しなくてもこの幽霊の手の形を描いている絵師が歌川国芳のものしか見つからないので、これが評判となって幽霊の手のステレオタイプが出来上がったとさえ言い切れない。円山応挙のそれっぽい絵も単発だったように思われるし、これも同じかもしれない。


調査続行


※ そもそも手どころか三角形の布(宝冠)を額につけてる絵も見ない(1件だけあったが詳細不明)し、白装束の絵は無いことはないけれど、それが死に装束なのかといえばそうかもしれないけれど、そうでないのかもしれない。