「ネット右翼」と呼ばれて

朝日新聞、今日の朝刊。


萎縮の構図6 ブログに群がる「ネット右翼
異質な意見 匿名で攻撃


当時、「Torie」というハンドルでコメント書いてました。
昨年2月初め」とあるので、それ以降、俺が書いたコメントを列挙しておきます。
俺が「ネット右翼」かどうかは各自の判断に任せます。


小倉秀夫の「IT法のTop Front」
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/


新しいテクニカルタームの創造(2005年02月13日)
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/8da3e502a5982e7ac28d2c6bf53ec979

錯覚 (Torie)

2005-02-14 00:36:27

ちょっと見ない間に、凄いことになってますね。

思うに「ブサヨ」・「プロ奴隷」(初めて聞きますが)と言うのは実在する個人又は集団を侮蔑的に呼ぶものだと思われます。これらと「ネット右翼」を同系列の用語だとするとき、当然「ネット右翼」も「実在する個人又は集団を侮蔑的に呼ぶ」用語となりましょう。

人間を思想で分ければ「右翼・左翼」の二通り、あるいは「中間」を入れて三通りの内のどれかに該当するわけですから、単なる分類を侮蔑的ニュアンスで呼んでいるにすぎません。そしてその分類から「右翼は〜だ」とか「ブサヨは〜だ」とかの評価が出てくるのです。

一方、先生のおっしゃる「ネット右翼」には、特定のブログに集中的に批判的なコメントを投稿する人たちというニュアンスがあります。

しかし、これはあらかじめどこかで談合したのでそうなったのではありません。それは単に先生の書いたことに、多くの人が興味を持って、それに対して何らかのコメントをしたいと思った人が多かった「結果」にすぎません。「当 た り 前」のことです。

そして先生の書いたことが「(公平に判断した結論であるとしても)結果的に左寄り(左右で分けた場合)」であるのですから、批判を書く人が「右寄り(同上)であるのも「極 め て 当 た り 前」です。

要するに、原因は先生の書いたことが「(いろんな意味で)とても面白かった」ので、多くの人が関心を持ったからということに尽きます。結果として、コメントが集中したからといって、そこに「意味」を見出そうとするのは「擬似科学的」であります。

Unknown (Torie)

2005-02-14 15:16:10

ところで自分は「コメントスクラム」の定義が未だに理解できていません。

2月9日のエントリーにある「品位を欠くコメントを執拗に投入したり、匿名掲示板などで個人情報を晒すなどの相手のいやがる行為を行う」とあります。
次に2月10日のエントリーでは、「最近他人のblogを攻撃して閉鎖に追い込んだ方々」とあります。
そして2月10日のエントリーのタイトルは「コメントスクラムを受けてみて」であり、「内容の乏しい侮辱、名誉毀損、脅迫、人格攻撃系のコメント」とあります。

してみると、単に大量のコメントが集中することが「コメントスクラム」ではなく、悪意のあるコメントが集中するのが「コメントスクラム」であると理解してよろしいのでしょうか?しかし悪意があるかないかは誰が判断するのでしょうか?先生のブログのコメントを見た限りでは、確かにそういう種類のコメントがないとは言えませんが、そういう種類のコメントに限ってみれば、それほど大量にあるとは思えません。また「批判の対象となる文章を正確に読むことをせずになされているもの」もあるでしょうが、それは必ずしも悪意によるものではなく、単なる勘違いによることもあるでしょう。ちなみに自分も「正確に」読んでいるのかどうか自信がありません。

ただし、これはあくまで自分の感想です。先生自身が「コメントスクラム」を受けたと言っているのですから、先生はこれらを悪意のあるものだと認識しているということでしょう。先生は「常識的なモラル感覚」というものを持ち出していますが、先生の考える「常識的なモラル感覚」と自分が考える「常識的なモラル感覚」には大きなズレがあります。結局、「コメントスクラム」かどうかの判断基準は受けた人の主観によるものであるという理解でよろしいでしょうか?
すると、本人は自覚していないのに、結果的に「コメントスクラム」となる可能性もありますね。もしかしたらこのコメントも、断じてそんなことをしているつもりはないわけですが、先生には「コメントスクラム」であると認識されているのかも知れませんね。

要するに自分にはどれが「コメントスクラム」で、どれがそうでないのかがわからないのです。

どのコメントが「コメントスクラム」であるのか明記していただけたら、先生の言う「コメントスクラム」の具体像がわかるのですけれど・・・あるいは、何月何日のコメントには何件の「コメントスクラム」があったというのでもよろしいかと思います。

以上を踏まえて、理解力の乏しい自分にもはっきりわかる「コメントスクラム」の定義をお示しいただければ幸いに存じます。長文失礼しました。

定義がはっきりしなければ混乱します (Torie)

2005-02-14 23:53:01

とにかく小倉先生が「メディアスクラム」をどう定義しているのかをはっきりさせるべきです。
定義がわからないのに議論しても、空虚な議論でしかありません。
過去のエントリーを読んでみましたが、ますます混乱しているところです。

1月10日には、
「当該思想集団から大量の批判的コメントやAAが継続的に寄せられること」
とあります。ただ、「AA」についてはわかりますが、「批判的コメント」については、「コピー&ペースト」や「一行レス」のようなものを指すのか、それとも「真面目な批判」をも含むのかがわかりかねます。
ところで、「メディアスクラム」について、先生は
「マスメディアの「素朴な正義感」に引っかかる言動を行った人間がマスコミに取り囲まれ質問やら批判やら罵詈雑言やらを浴びせかけられて身動きがとりにくくなる」と定義しています。しかし、この「メディアスクラム」の定義が一般的なものなのかはわかりかねます。単に取材が集中することとすることもあるようです。「メディアスクラム」をどう理解するかによって、「コメントスクラム」の理解も左右されるように思われます。
しかし、下の方には、
「節度のあるコメントもコメントスクラムの中に混じっていたとしても大量に批判的なコメントが押し寄せた場合」
とあります。つまり、「節度のあるコメント」も「コメントスクラム」の中に含まれるように思われます。
すると、問題は「集中」にあるのであって、コメントが集中している状況(つまり今のような状況)の時には、「いかに節度のあるコメント」であっても、「批判的なコメント」をする行為自体が問題であると理解できます。

そういう理解でよろしいのでしょうか?
もしそうであれば、今書かれているコメントの大半は的はずれなものということになります。
しかし、上の方に書きましたが、そうではなく、「内容の乏しい侮辱、名誉毀損、脅迫、人格攻撃系のコメント」を問題にしていると受けとれるところもあります。

両者は重なる部分もあり、似ているように見えますが、問題としては、全く違う問題であると思います。
「誹謗・中傷」がよろしくないというのは、大方の同意するところだと思います。ただし、このブログにおけるコメントにそれに該当するものがどれほどあるのかというのが問題となります。
「批判的なコメントの集中」が問題だとするのであれば、これは(どの程度を集中と言うのかという問題はありますが)確かに現在の状況に当てはまるかも知れません。これについては意見が分かれるでしょう。

繰り返しになりますが、この興味あるテーマを意味のあるものにするためには、先生の「定義」をはっきりさせる必要があるということを述べておきたいと思います。

プロバイダ責任制限法第4条の見直し(2005年02月15日)
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/2cdde17365f2ff70e71f374756f8c734

少なくとも日本では (Torie)

2005-02-15 17:28:14

フランスではどうだか知りませんが、日本では、インターネットに限らず、新聞の投書等でも、氏名その他の個人情報を公にすると、投稿は著しく減るものと思われます。そして、先生の思惑とは逆に、投稿者は日本の平均的な社会像から大きく歪んだ、特定の層に偏ることが予想されます。

なぜなら、氏名を公表する時に人はリスクとリターンを考えますが、それはその人の属性によって、大きく異なるからです。
「現役の会社員」と「定年退職した人」では、前者のリスクは高く、後者のリスクは低いです。
「一般人」と「特定の思想団体」に所属する人では、前者のリターンは少なく、後者のリターンは高いです。
結果、某新聞の投書欄などは、老人や市民団体構成員の投書が占める割合が高くなる傾向になっていると思われます。

また、人は社会的動物ですから、人間関係を円滑にするために公共の場では「無難な答え」をする傾向があります。
ネットで意見を表明する人は「意見を表明」するために投稿するわけですから、「無難な答え」をするくらいなら、最初から投稿などしません。そんなことをする人は「出会い」を求めている人くらいでしょう。

もちろん「匿名」に問題があることは、先生が指摘するまでもなく、誰でもわかることではありますが、「非匿名」にすれば、以上のような問題が生じてきます。その「偏った意見」を「世論」としてきたのが「既存のマスメディア」です。
「無名の人」が意見を表明できる場を提供したことが、ネットの掲示板等が大きく発達した原因でしょう。

それが嫌ならば、「匿名のコメントは削除する」「会員制の掲示板を作る」等の処置をすればよいでしょう。それは今でもできることです。この処置をして「被害」を受けるのは「匿名の投稿者」だけで、「実名の投稿者」には、何の被害があるとも思われません。

それではだめなのでしょうか?

あとついでに言っておきますが「実名」にすれば、不愉快な投稿がなくなると思ったら大間違いです。無意味な投稿を繰り返す「荒し」や「誹謗中傷」はなくなるでしょうが、「批判的な投稿」は決してなくなりません。むしろわざわざ「実名」にするような投稿者は粘着質なタイプが多いので、執拗に投稿を繰り返し、「閑散」なコメント欄が、そういう投稿で埋め尽くされるという事態になる可能性が非常に高いと思います。


「組織化」は鍵ではない(2005年02月22日)
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/c8c6c1a94c076cea1b9be10d2182c04f

なにはなくとも定義付け (Torie)

2005-02-23 15:08:48

もう何度も言われていることですが、とにかく「先生が考えるコメントスクラムの定義」をはっきりさせるべきですね。
もちろん、そうしたら、その定義や名前の適格性に対する「コメント」が寄せられるでしょうが、今よりはるかに建設的な議論になると思うのですけれどね。
一応、先生の「定義らしきもの」を、もうちょっと穏健な言葉で書いておきますね(誤読しているかもしれませんけどね)

1 短時間に多数のコメントが寄せられること。
(4時間の間にコメントとトラックバックがあわせて40本程寄せられたとのことですが、そういう事態に襲われたら、これら全てに返事を出そうという気が起こらなくなるというのは、私には理解できます。その中に敵意を感じさせるものが含まれていたりすれば、恐怖感を感ずるのは、それほど特殊ではない感情でしょう。)

2―A 短時間に「批判的なコメントが」多数寄せられること。(批判が目的)
(ある種の思想集団(必ずしも組織化されているものを指しているわけではありません。)の気に入らない発言をblogで行うと、当該思想集団から大量の批判的コメントやAAが継続的に寄せられることがしばしばあります。)

2―B 短時間に「批判的なコメントが」多数寄せられること。(楽しむが目的)
コメントスクラムを楽しんでおられる方々からは批判を受けておりますが)

3 短時間に「悪意ある」批判的なコメントが多数寄せられること。
(その思想集団に属するものによるblog主または第三者を貶めようという言動)

4 短時間に「悪意ある目的を持った」悪意ある批判的なコメントが多数寄せられること。
(品位を欠くコメントを執拗に投入したり、匿名掲示板などで個人情報を晒すなどの相手のいやがる行為を行うことにより、自分とは異なる意見を表明する者に、そのblogを継続する意欲を奪う、あるいはblogを継続することに恐怖を感じさせる人々)

(番外) 「組織化されたもの」と「組織化されていないもの」に区別はない。
(必ずしも組織化されているものを指しているわけではありません。)

以上