麒麟窟

去年書いた記事「ユニコーンの巣」にコメントが付いていたのでそれについて。


まず言っておきたいのは、世の中にユニコーンが実在していると信じている人が全くいないというわけではないだろうが滅多にお目にかかることはないだろうということ。それもヨーロッパだったらまだしも日本では超少ないだろう。もし俺の書いた記事を読んで「こいつはユニコーンを信じている」と思ったとしても、まず「そんな奴は滅多に存在しないはずだ」と考えて、もう一度読み直してみるべきだ。何度も何度もよみ直して、それでもなお「こいつはユニコーンが実在していると考えていると判断せざるをえない」という結論を出してから反応すべきだ。この件に限らず安易に相手を見下して馬鹿だと決め付けて批判する行為というのはネット上で日々見かける。特に相手が完璧ではなく落ち度があるような場合は「結局のところ間違ってるんでしょ」みたいな反応で開き直ってしまうことも多い。確かに批判された者に批判されるべき点はあるが、その批判はおかしいというケースが放っておかれているのを見るのが俺はたまらなく嫌なのだ(といってもそれに一々反応するのは物理的に無理だが)。


この「ユニコーンの巣」の話もまたそういう話である。「ユニコーンなんで実在するわけないだろ」という考えからトンデモとして大いに馬鹿にされた。しかし「ユニコーンの巣」というのは、元々の記事の「麒麟窟」をユニコーンと訳したものだ。もちろん麒麟も想像上の生物だが、東アジアにユニコーンの伝説はなくても麒麟の伝説はある。伝説の遺跡として考えればそれほどおかしな話ではない。東アジアにユニコーンの遺跡があるという話なら伝説であろうとトンデモだろうが、麒麟の場合はそうではない。


しかしながら、それが伝説の遺跡としても本物なのかという問題はある。それがこの話の本当の問題である。


で、そのことについて少し詳しく書く。ただし俺は伝説・歴史が好きで朝鮮の伝説・歴史についても興味が無いわけではないが、日本のものに比べれば遥かに情報が少ない。だから不明な点が多いということはあらかじめ書いておく。


まず高句麗の東明王について
東明聖王 - Wikipedia
ここに書かれてあるように扶余・高句麗百済の始祖が「東明」とされている。だが同一人物だとは考えられない。常識的に考えれば伝説上の人物だと思われる。高句麗の東明は名を「朱蒙」という。朱蒙が東明王と同一視されたと考えられる。しかしながらこの朱蒙とて実在したかは定かでない。


この朱蒙が紀元前に高句麗を建国したのは中国の「遼寧省桓仁」である。
高句麗 - Wikipedia


その後、第2代の瑠璃明王吉林省集安に移動したとされるが、その時期は紀元3年ともいうが「2世紀末から3世紀初め」という説もある。


いずれにしろ朱蒙(東明王)の遺跡が平壌にあるというのは非常に不自然な話である。


ところが、東明王の陵墓が平壌にあるという。

東明聖王の陵墓は平壌市の東方25Kmの地点に推定陵墓が存在し、東明王陵と称されている。元来は集安にあったものを、平壌遷都とともに遷されている。1993年5月14日に金日成の指示により整備が行われ、敷地面積約220ha、王陵区域、定陵寺区域、陪墳区域が整備された。陵墓は1辺32m、高さ11.5mであり、周囲には中門、祭祀堂、石像などが設けられている。玄室内部には29種の壁画が描かれている。

東明聖王 - Wikipedia


ここに書かれているように集安にあった陵墓を移転させたものだというのが北朝鮮の公式見解だが実のところ大いに怪しい。ただしこの陵墓が東明王の墓だというのは北朝鮮の捏造というわけでは無さそうで、昔からそういう伝説があったらしい。つまり北朝鮮は伝説を史実としたということだと思われる。


で、「麒麟窟」だが、これも昔から東明王の遺跡だと考えられていたらしい。

平壌の名勝地といえば錦山(クムスサン)、鳳凰臺(ボングファングデェ)、綾羅島(ヌングラド)、麒麟窟(キリングル)、朝天石(チョチョンソク)などがあるが何処も古くから知られる名所で永明寺の浮碧亭もその中の一つである。

「金鰲新話」
作者の金時習は1435‐93とあるので、この時代には既にそういう伝説があったわけだ。昨日今日思いついた出鱈目な話というわけでもない。伝説は伝説として尊重するべきであろう。とはいえ勿論これが史実かといえば大いに疑問であり、それを史実として政治的に利用することは大いに批判されるべきものである。


なお、
痛いニュース(ノ∀`) : 北朝鮮考古学者 「ユニコーンの巣を発見した」 - ライブドアブログ
に「発見」とあるが、「発見」ではない。おそらくは長らく未調査で放置されていたのを調査したということだろう。「麒麟窟」の存在は上にあるように大昔から知られていたし、存在が忘れられていたわけでもない。


平壌名勝 大同江の彼方に通ずと博う牡丹台麒麟窟東北芸術工科大学東北文化研究センター アーカイブス)
いつの写真か不明だが日本語で右から書かれており旧漢字が使われているのでおそらく戦前のものだろう。