2016-10-10から1日間の記事一覧

「幸村と云は誤なり」と水戸光圀が書いたと云は誤なり

俗伝で幸村の佩刀であったとか介錯に村正を用いられたという話があり、すべて誤伝であるのだが、話に尾ひれがついたことで「幸村」の名は元禄時代には広く知られていた[4]。このため国学者でもある徳川光圀がわざわざ「幸村というのはあやまり也」[4]と書き…