漢方は疑似科学なのか

トラックバック欄が俺の記事で埋まってしまっているので、これ以上のトラックバックは控えるけれど、「今日の雑談」のjura03さんが「漢方はいいけどホメオパシーはダメ」というのはおかしいということを盛んに主張している。この件について俺の考えるところ。


そもそも漢方は疑似科学なのかという疑問。ホメオパシーについてなら疑似科学だと主張しているものは一杯あるけれど、漢方については、これがどうもはっきりしない。はっきりしないのはどうしてかと考えるに、それは科学者の態度がはっきりしていないからであろう。


もちろん疑似科学だという主張する科学者は存在するだろう。けれども、ホメオパシーと違って圧倒的多数の科学者がそう主張しているようには俺には見えない。しかし、そういった科学者達が漢方は真っ当な科学だと主張しているかといえば必ずしもそうでもなさそうに思える。これぞまさに「グレーゾーン」。


なんで黒白はっきりしないのか?そこが謎だ。しかし、検索してもよくわからない。わからないので俺なりに考えてみる。


ホメオパシーに使用するレメディーは「極度に希釈」しているので元となる物質は1分子も含まれていない。よって科学的にはただの砂糖玉である。もし、その砂糖玉に効果があるのだとしたら現代の科学全体が見直しを迫られるであろう。つまり、単にホメオパシーという医療の問題に留まらない大問題なわけだ。


一方、漢方の場合は、効能があってもなくても、科学界全体が揺らぐことはないだろう。(プラセボ以外の)効能が無いことがはっきりすればそう言えばいいだけだし、効能があるのならば、そのメカニズムが研究対象になるであろう。


すなわち優先順位で言えば科学としてはホメオパシーの方が遥かに重大な問題だということになり、その理由は現代科学の体系が揺るがされるということであり、そのことが被害の有る無しなどよりも深刻だってことではないだろうか。


だとしたら、現代科学を揺るがすホメオパシーという疑似科学の問題と、被害防止のための代替医療問題とは、重なる部分はもちろんあるけれどズレもあるってことになるだろう。


てなことを考えてみたのだが、もちろんこれは素人の俺が思いついたことであって、科学界の権威がそう言っていたとかいう話ではない。

ネトウヨの歴史(2)

ネット右翼」という言葉はいつからあるのだろうか?1999年には既にあったという情報があるので見てみると確かにあった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/mini/log/log51-100.html


ただし、俺はその頃ネットをやっていなかったので、当時の雰囲気がわからない。それに「ネット+○○」という造語は安易に思いつくものであるから、これが現在の「ネット右翼」という用語とストレートに結び付くものであるかもわからない。


俺が「ネット右翼」という言葉を認知するようになったのは2003年頃ではなかったかと記憶している。そして2ちゃんねる界隈でこの言葉が認知されるようになったのもその頃ではなかったかと思う(一般に知られるようになったのが2005年であることは間違いないだろう)。


ただ、当時のスレッドを確認したいとは思うのだが、これが中々厄介な話で「ネット右翼」で検索しても膨大な量の記事がヒットするので、そこから絞り込む方法が俺には思いつかない。しかも、もしかしたら「ネットウヨク」だったかもしれないとも思うので、さらに検索範囲が拡がってお手上げ(もひとつ厄介なのは、その手の書き込みは「荒らし」と認定されて削除されてしまい存在しない可能性もあるので思い当たるキーワードを加えて検索しても見つからないなんてことも)。


さて、上に「荒らし」と書いたけれど、俺が「ネット右翼」という言葉をどういう経緯で知ったのかといえば、2ちゃんねるでは良くあったことだけれど、マスコミ板などでも朝日新聞の記事が批判されているときに、それが気に食わない人が、反論するのではなくて、スレッドを潰す目的でもって、同じ文章を盛んに貼り付けたりする。その貼り付けられた文章に「ネット右翼」という言葉が使われていたと記憶している。正確になんと書いてあったか覚えていないけれど、ネット右翼の特徴は低学歴・低収入だとか、現実世界では行動しないとか、そんな罵倒(と本人は考えているのであろう)文句が書き連ねられていたと思う。


先に書いたように「ネット右翼」の定義には、

「攻撃コメントをしつこく投稿」し「自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々」

というものがあるけれど、「ネット右翼」という言葉を広めた人たちは、まさにこの定義にあてはまっているという皮肉なことになっているのだというのが俺の認識。


ネット右翼」という言葉がいつどのようにして誕生したのかは知らないけれど、広まったのはこのような経緯によると俺は考えているのであり、2005年に小倉弁護士がネットの炎上に関して「ネット右翼」という言葉を使用して批判したときに、2ちゃんねるの罵倒語を使用するということ、言葉の広まった経緯、そして自分と相容れない考えに(本人はそう認識しているのかもしれないが、特に右翼的でもない言説に)「右翼」というレッテルを貼るということに、強烈な違和感を持ったのであった。


ただし、当時も、現在一般的にイメージされているような「ネット右翼」な人達はいた。しかし、当時はもっと広い範囲に適用されていて、サヨクを批判すれば即「ネット右翼」と見做すような左側からの言説がいっぱいあったのである(今もあるけれど)。


それと同時に右側にも、サヨクを批判するものは自分達の仲間であるという認識があったように思われる。そして自分達には大勢の支持者がいるという思い込みが徐々に増してきていったようにも思う。


(つづく)