本郷和人

最近歴史学者本郷和人の名前を良く目にする。ブログを巡回していても歴史関係の記事で取り上げられているのを何度も見た。
本郷和人 - Wikipedia


話題になっているので前に一度だけ図書館で本を借りたことがある。しかし、ほとんど頭の中に入ってこなくて途中で読むのを断念してしまった。何て説明すればいいのか難しいんだけれど、肌に合わないというか何というか。学術研究を肌に合わないで拒絶するのもいかがなものかとは思うんだけれど、いかんせん無理矢理頭に詰め込もうとしても、俺の脳味噌が頑なに拒否するんだから仕方がない。


もちろん、俺はド素人で、本郷氏は東大の博士様で、差は歴然としている。「ここがおかしい」ということを安易に言えば、ただのトンデモさんになってしまうんで滅多なことは言えないし、そもそも今の所、一体どこが俺の脳味噌に拒絶反応を起こさせるのかが自分でも明確にはわからない。


ただ、本郷氏の書く一言一句が一々自分自身で原典に当って確認しないことには信用できない(そしてそれは俺の能力ではおよそ不可能に近い)というような、そんな不安感をどうしても拭い切れないのである。

【本郷和人の日本史ナナメ読み】(10)「忠臣」にもいろいろある

で、図書館に行ってまた本郷和人の本を借りてくるのも面倒なので、現在MSN産経ニュースに公開されている【本郷和人の日本史ナナメ読み】について少し書いてみる。


【本郷和人の日本史ナナメ読み】(10)「忠臣」にもいろいろある+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

 これと関連して思い出すのが、備前の大名、宇喜多直家(1529〜82年)のエピソードです。この直家、ともかくズルがしこい。寝首を掻(か)く、狙撃する、裏切る。品のない言葉を許していただくなら、「どぎたない手段」を使いまくって、一代で身を起こしました。

 さて、悪行三昧の彼にも、最期の時がやってきます。病(大腸がんのようなものか)を得て、余命幾ばくもないと悟った彼は、何をしたか。主だった家来を一人ずつ病床に呼び寄せ、お前は私と一緒に死んでくれるよな?と殉死するよう、プレッシャーをかけたのです。その結果として、はい分かりました、とOKした人の名を記した「殉死ノート」を作成し、肌身離さずもっていた。


 最後に呼ばれたのが、第一の家来、戸川秀安。もちろんこいつは、喜んでお供してくれるものと思っていたところ、「遺(のこ)された若君(のちの秀家。豊臣五大老の一人)をお守りする責務がありますから」とにべもなく断られた。オイ、それはないだろう、と再考を促すと、「私はいくさ働きには自信がありますが、あの世への道案内はとんと不得手です。私などより、お坊さんをお連れになられたらいかがでしょう?」とあくまでもつれない返事。しょげかえった直家は、「殉死ノート」を破り捨ててしまった(『武将感状記』)。秀安があんなこと言うんだものなあ。こんなもの、信用できるか!と思ったのでしょう。梟雄(きょうゆう)も最後は一人ぼっち、というお話。こちらは何だか、とっても切ないですね。

俺は『武将感状記』という史料を読んだことがない。というか存在自体知らなかった。だけど、この本郷氏の文章を読んで「何かおかしい」と直感的に思った。何がおかしいのかは自分でもわからなかったのだけれど。


というわけで「近代デジタルライブラリー」に『武将感状記』があったので早速読んで確認してみる。確かにそこに戸川秀安の記事はあった。
※「1. 武将感状記 / 淡庵子編,聚栄堂, 大正10. - (日本名著文庫)」の「74/142」。


だが、

「遺(のこ)された若君(のちの秀家。豊臣五大老の一人)をお守りする責務がありますから」とにべもなく断られた。

なんてことは一切書いてない。


また、

しょげかえった直家は、「殉死ノート」を破り捨ててしまった

とあるが、原文には、

直家、我れ惑へり、汝が言是なりとて、此より殉死を強ひられず。

とある。つまり、宇喜田直家は自分の非を認めて戸川秀安が正しいと言ったということだ。ついでに細かいことを言うようだが「殉死ノート」を破り捨てたなんてことも書いてない(それ以前に殉死を約束した人がどうなったのかはわからない)。
※それ以前に信用性の低い史料だけど
武将感状記 - Wikipedia


さすがに学者だけあった出典を書いているとろこは認める。それがなければ確認しようもない。それに加えて「近代デジタルライブラリー」があるから、素人の俺でも原典を確認することができる。


しかし、これでいいのか?

【本郷和人の日本史ナナメ読み】(11)国盗りマムシの辞世の歌

さらにもう一つ。
【本郷和人の日本史ナナメ読み】(11)国盗りマムシの辞世の歌+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

 捨ててだに この世のほかはなきものを いづくかつひの住み家なりけん

 明日の戦いで自分は死ぬだろう、と覚悟した道三は、子供たちに遺言状を書き、末尾にこの歌を書き記しました(『妙覚寺文書』)。ぼくはこの歌がとても好き、いや好きというのとはちょっと違うな、とても気にかかるのです。この遺言状の他の箇所で、道三は末子に、妙覚寺に赴き出家せよ、と指示している。一人が出家すれば、一族みなが浄土に転生できるのだ、と当時ならいかにもありそうなことを書きながら、彼はそこで筆を置くことができなかった。「命を捨ててしまえば、この世のほかに世界はない。人のついの住み家はどこにあろう。そんなものはないのだ」。この歌は現世に、異様なまでの執着を見せています。それが、道三という人だったのです。

斎藤道三の辞世の句を本郷氏は「この歌は現世に、異様なまでの執着を見せています」と説明しているんだけれど、本当にその解釈でいいのだろうか?


俺の解釈は違う。


俺は来世のことを考えず、現世のためのみにひたすら生きてきた。このような悪人が行くところはどのようなところだろう(良い所でないことは確実だ)


と解釈する。時代劇やあるいは現代劇でも「俺は悪さをしてきたので極楽には行けないだろう」みたいなセリフはよくあるけれど、それと似た意味だと思う。これも現世への執着と言えないこともないかもしれないけれど、本郷氏の解釈はそういうことでは無いと思う。


なぜなら、

当時ならいかにもありそうなことを書きながら、彼はそこで筆を置くことができなかった。

と書いてあるから。つまり遺言状の他の箇所に書いていることは建前で、本音は辞世の句にあるということを言いたいのでしょう。


だけど俺の解釈では、道三は来世で苦しむことになるだろうから、子供たちよ、お前達に親を思う心があるのなら、供養をしっかりして極楽浄土に転生できるように祈ってくれということになり、本音と建前の区別など存在しない。


俺は素人で絶対的な根拠があるわけでなし、本郷氏は学者であるからして、判断は読まれた方にお任せしますけどね。



ちなみに、
戦国浪漫・辞世の句
によると、北条氏照の辞世の句は

天地の清き中より生れ来て もとのすみかにかえるべらなり

なんだそうだ。


(追記)
よく考えたんだけれど、やっぱり俺の解釈もおかしい。道三の遺言状について詳しいページがあった。
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(30) 


この遺言状は後に妙覚寺19世日饒となる道三の息子に宛てたもので「子供たち」に宛てたものではないみたい。「妙覚寺に赴き出家せよ」(「その方事、堅約のごとく、京の妙覚寺へのぼらる、もっともに候。」)とあるけれど、「堅約のごとく」であって、前からそういう約束があって、次に「一子出家、九族天に生ずといへり。かくのごとくととのひ候。一筆涙ばかり」とあるから、これは死ぬ前に準備が整って良かったってことでしょう。「いへり」だから確実に天に生ずると信じててたわけじゃないだろうけど。


「斉藤山城ここにいたって、法華妙体の内、生老病死の苦をば、修羅場にゐて仏果を得る。うれしきかな。」とは、戦死することによって、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦しみから脱することができてうれしいということですね。「すでに明日一戦に及び、五体不具の成仏、疑(うたがい)あるべからず。」とは明日の合戦で五体が損なわれて死ぬことは疑いないってことですね。「成仏」が単に死ぬことなのか、極楽に行くことなのかがわからない(そこが肝心なところだと思うのだが)。


俺は道三が来世に不安を持っているんじゃないかと考えていたんだけれど、そうではなさそう。


どっちかというと死後の不安は無さそうな感じ。もちろんどこまで本気なのかわからないけれど、ここで重要なのはこれは息子に宛てた遺言状なのであって、息子がこれをどう受け取るかということを考えて書いているだろうということ。出家する息子(しかも自分が指示した)に対して、本郷氏の言うような「この世のほかに世界はない」みたいなことを書くとは思えない。じゃあ辞世の句の意味は一体何なんだっていうとわからないんだけど。


ちなみにこの遺言状は本物かという疑惑もあるみたいなんだけれど、偽者だったとしたら尚更筋の通ったことを書くだろうと思う。


なお、検索してたら『戦国なるほど人物事典』(泉秀樹)も本郷氏と似た解釈をしている。ということはこれが定説ってことなんだろうか?どうも納得しかねるんだけど。


※さらに追記

日蓮の教えでは、(転生があるにしても)、今の自分(小我)に執着するあまり、いたずらに死を恐れ、死後の世界ばかりを意識し期待するより、むしろ自分の小我を越えた正しい事(大我)のために今の自分の生命を精一杯活かし切ることで最高の幸福が得られるのだ、とされている(『生死一大事血脈抄』)。

来世 - Wikipedia
これはヒントになるかもしれない。最初の俺の考えでは現世のことしか考えなかったので来世は苦しむだろうという解釈だったんだけれど、逆に現世を精一杯生きたので来世の心配はないという話なのかもしれない。