【本郷和人の日本史ナナメ読み】(10)「忠臣」にもいろいろある

で、図書館に行ってまた本郷和人の本を借りてくるのも面倒なので、現在MSN産経ニュースに公開されている【本郷和人の日本史ナナメ読み】について少し書いてみる。


【本郷和人の日本史ナナメ読み】(10)「忠臣」にもいろいろある+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

 これと関連して思い出すのが、備前の大名、宇喜多直家(1529〜82年)のエピソードです。この直家、ともかくズルがしこい。寝首を掻(か)く、狙撃する、裏切る。品のない言葉を許していただくなら、「どぎたない手段」を使いまくって、一代で身を起こしました。

 さて、悪行三昧の彼にも、最期の時がやってきます。病(大腸がんのようなものか)を得て、余命幾ばくもないと悟った彼は、何をしたか。主だった家来を一人ずつ病床に呼び寄せ、お前は私と一緒に死んでくれるよな?と殉死するよう、プレッシャーをかけたのです。その結果として、はい分かりました、とOKした人の名を記した「殉死ノート」を作成し、肌身離さずもっていた。


 最後に呼ばれたのが、第一の家来、戸川秀安。もちろんこいつは、喜んでお供してくれるものと思っていたところ、「遺(のこ)された若君(のちの秀家。豊臣五大老の一人)をお守りする責務がありますから」とにべもなく断られた。オイ、それはないだろう、と再考を促すと、「私はいくさ働きには自信がありますが、あの世への道案内はとんと不得手です。私などより、お坊さんをお連れになられたらいかがでしょう?」とあくまでもつれない返事。しょげかえった直家は、「殉死ノート」を破り捨ててしまった(『武将感状記』)。秀安があんなこと言うんだものなあ。こんなもの、信用できるか!と思ったのでしょう。梟雄(きょうゆう)も最後は一人ぼっち、というお話。こちらは何だか、とっても切ないですね。

俺は『武将感状記』という史料を読んだことがない。というか存在自体知らなかった。だけど、この本郷氏の文章を読んで「何かおかしい」と直感的に思った。何がおかしいのかは自分でもわからなかったのだけれど。


というわけで「近代デジタルライブラリー」に『武将感状記』があったので早速読んで確認してみる。確かにそこに戸川秀安の記事はあった。
※「1. 武将感状記 / 淡庵子編,聚栄堂, 大正10. - (日本名著文庫)」の「74/142」。


だが、

「遺(のこ)された若君(のちの秀家。豊臣五大老の一人)をお守りする責務がありますから」とにべもなく断られた。

なんてことは一切書いてない。


また、

しょげかえった直家は、「殉死ノート」を破り捨ててしまった

とあるが、原文には、

直家、我れ惑へり、汝が言是なりとて、此より殉死を強ひられず。

とある。つまり、宇喜田直家は自分の非を認めて戸川秀安が正しいと言ったということだ。ついでに細かいことを言うようだが「殉死ノート」を破り捨てたなんてことも書いてない(それ以前に殉死を約束した人がどうなったのかはわからない)。
※それ以前に信用性の低い史料だけど
武将感状記 - Wikipedia


さすがに学者だけあった出典を書いているとろこは認める。それがなければ確認しようもない。それに加えて「近代デジタルライブラリー」があるから、素人の俺でも原典を確認することができる。


しかし、これでいいのか?