後藤又兵衛の首(その6)

NHKの問題の記事。「大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最期を記す史料発見」11月17日 12時10分(掲載期間が過ぎてるので今は見れない)。俺はNHK NEWS WEBにあったこの記事を後々役に立つこともあるかと思いコピペして保存してた。動画は見てなかった。

調査に関わった、九州大学基幹教育院の福田千鶴教授は「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げたと言うことができ、又兵衛らの秀頼に対する思いとともに、秀頼が又兵衛を信頼していたことも読み取れる貴重な史料だ」としています。

この部分、動画ではNHKの女性記者が電話で福田千鶴氏の説明を聞いているところが撮影されている。聞き取りによると「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げたという」「又兵衛たちのですね秀頼に対する思いていうものが、もの凄く伝わってくる貴重な史料ですよね」。テロップによると「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げた」「又兵衛たちの秀頼に対する思いがものすごく伝わる貴重な史料」。


前半部と後半部の間にカットされた部分があるのだろう。というかカットされた部分が無いのだったら捏造ではなくなってしまう。「福田千鶴」氏の説明通りなら、「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げた(=行光で首を討たせた)という説があるかもしれないが、それは間違ってる」という趣旨の発言をしたけれど、その部分がカットされたということでしょうかね?



あと、もう一つ説明しとくと、又兵衛の首を落としたのが誰かというのはマスコミの報道で具体的な名前の出てくる記事では金万平右衛門の名が出てくるのであり、小姓が落としたという記事は知る限りでは一件もないということ。これは岡山県立博物館がそう説明したからだろうというのが俺の推理なわけです。ただし博物館の説明に「又兵衛の首を討った脇差が、又兵衛が豊臣秀頼から拝領したものであった」というのはあっても、「金万平右衛門が」という説明は見当たらない。しかしながら複数のマスコミがそう報道する原因はそこにあると考えるのが自然である。実際どうだったのかは現場にいた人が良くわかってらっしゃることだと思いますけどね。


では、「小姓が首を落とした」云々はどこから出てきたかといえば、本郷和人氏からであります。
【本郷和人の日本史ナナメ読み】大坂の陣と後藤又兵衛(下)古文書精査で報道との相違点が…又兵衛の首はどこへ? 2人の小姓はいたのか?(1/3ページ) - 産経ニュース
後藤又兵衛の首は誰がドコへ持っていったのか? 東京大学・本郷教授の「歴史キュレーション」 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


本郷氏が何を言いたいのかといえば、又兵衛は行光で首を落とされたのではない。金万平右衛門の所持していた刀で首を落とされたということでありましょう。各紙の報道は行光で首を落とされたとする。であるならば小姓が首を落としたことになるが原文にそう書いてないじゃないかということでありましょう。


ややこしい話をさらにややこしくするだけの話でありますが、順番としては、そもそも俺があの記事を書いた目的は、岡山県立博物館や福田千鶴氏、また報道各社を批判するつもりのものでは全くなくて、本郷氏が「腰に銃撃を受けて瀕死の重傷を負った」などという報道は存在せず、また新出史料にも記載がなく、そして『難波戦記』にも「腰を撃たれ歩行不能になった」なんて書いてないのに、書いてあるかのような記事を書き、
大坂の陣と後藤又兵衛(上) 最期の描写、実は講談が正しかった


大坂の陣後藤又兵衛(下)」で

古文書の写真を入手して読んでみたら、「ええっ!」。各紙の報道と異なることが出てきたんですね。

この史料には、又兵衛がどうして瀕死(ひんし)の重傷を負ったかとか、どこに傷を受けたかとかは書いてない。

などと、「各紙の報道」が間違ってたみたいなこと書いてるけど、そもそも「腰に銃撃を受けて瀕死の重傷を負った」ってどこが報じたんだ?という話で、俺の知る限りではそんな報道はないし、『難波戦記』については報道関係ない。


また本郷氏は朝日・毎日以外は間違った報道をしたということも言ってるけど、こういうケースの場合、正しい報道・間違った報道って何だ?て思いますよ(もちろんNHKがやったことは事実なら明らかに間違った報道になりますけどね)。


それにしても報道に関して言えば、岡山県立博物館と福田千鶴氏の解釈の激しい相違は、各紙の記事を細かく検証してやっと微かに見えてくるという程度のものであり、普通はわかりませんよね。