日蓮は釈迦の生まれ変わりという説について

日蓮―われ日本の柱とならむ』 (ミネルヴァ日本評伝選 佐藤弘夫)に

誕生日は、日蓮自身の著作では触れられていない。日蓮の孫弟子にあたる日道が著した『御伝土台』(日蓮ら祖師の伝記)に、二月一六日という日付がはじめて現われる。仏教の始祖である釈迦は二月一五日に入滅している。日蓮を釈迦の再誕と位置づけるべく、その誕生日が仏滅の日を意識して創作されたことも考えられる。戦国時代の日蓮の伝記『日蓮聖人註画讃』には、「如来二月十五日示滅、元祖二月十六日現生」と、明らかに両者の日付を関連させている記述がみえる。

とある。


釈迦の入滅の日は

実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものである。

涅槃会 - Wikipedia
ついでに釈迦の誕生日は

北伝仏教が伝来した地方では、一般に釈迦の誕生日は中国暦4月8日とされているが、その典拠は必ずしも明らかではない。インドと基本的に同系統の暦を用いる南伝仏教圏では、釈迦の誕生日はインド系太陽太陰暦第2月15日としてウェーサーカ祭で祝う。インド暦2月は中国暦で4月から5月に相当するため、中国暦4月に翻訳されたと考えられている。法顕の仏国記には「建卯」月の8日または1日から15日にかけて、グプタ朝治下のインド各地で祝祭が行われていたとある。中国語で「卯の月」とは春分を含む月であり、タイにおけるソンクラーンなどインド暦の正月祭が起源である可能性もある。

灌仏会 - Wikipedia

ウェーサーカ祭が「釈迦の誕生日」と非公式に呼ばれることがあるのは、この祭りが釈迦の誕生・悟り(ニルヴァーナ、涅槃)・入滅(パリニルヴァーナ、般涅槃)の三大仏事に結びついているからである(日本の仏教では降誕会・成道会・涅槃会は別々に行われるが、南伝仏教ではこれらは同じ月の同じ日に起こったこととされる)。

ウェーサーカ祭 - Wikipedia


南伝仏教では釈迦の誕生も入滅も、ついでに悟りの日もインド暦の同月同日とされているそうだ。俺は詳しくないけれども、おそらくこれが本来の伝承(もちろん史実だとは考えられないが)であったのだろう。とすれば釈迦の生まれ変わりも(インド暦の)2月15日に誕生するのが自然だろう。それが中国暦・和暦で4月から5月に相当するとして「満月の日」だから旧暦15日になる。ただし実際の満月は必ずしも15日にはならないのではあるけれど。


とにかく日本では古来より釈迦の入滅は2月15日だとされてきた。


没した人の生まれ変わりが忌日の翌日に生まれるという考えはいつからあるのだろうか?というかそもそも日蓮以外にあるのだろうか?いやその日蓮にしても戦国時代の伝記にそう書かれているからといって、それ以前にあったとは限らない。さらに言えば魂というものがあるのだとしたら、没した直後に肉体を離れた魂がさまよって新たに生まれてくる生命に宿るまでの時間を考慮して翌日に生まれ変わるということならわからなくもないが、釈迦の生没年は不明だが紀元前の人で日蓮は13世紀の人である。それだけの長い年月があって忌日の翌日に生まれ変わらなければならない理屈がわからない。上記のように「満月の日」だというのなら、何百年何千年後でも納得できるのだけれど「翌日」というのはどうにも奇妙である。


ただし、戦国時代に日蓮と釈迦の関連を示す史料が残っているのは確実なのだから、戦国時代に忌日の翌日に生まれ変わるという考え方があったということは紛れもない事実ではある。その考えが日本の戦国時代に発生したものなのか、それより以前からあったものなのか、そこを知りたいのだがわからない。ついでに戦国時代以降も含めて日蓮以外にそういうケースがあるのかもわからない。


戦国時代の史料が紹介されるということは、それ以前の史料にはそういうことが書いてないということだろうと思われ。日蓮の誕生日が創作であろうと無かろうと、そういう考え方があったのなら戦国時代以前にもそう書かれた史料が豊富にあって良さそうなものだと思われるのに不思議なことだ。日蓮の誕生日は本当に2月16日、あるいは2月16日ではないが釈迦とは無関係に何らかの理由でそう設定されたものであって、生まれ変わりだというのはずっと後になって出てきた考え方ではなかろうか?


(つづく)