2014-03-27から1日間の記事一覧

織田信長と前田利家(その5)

次に 御意にて、扨も忝き御諚と存ずる所に、御近習衆、通ひを仰せられ衆までも、さても〳 〵冥加なる又左殿かなと、あやかり者と奪合ひ候様に、通ひ物候故に、箸にて、忝き御諚と、ひた物食ひ過し、鶴汁を是非なく過したれば、其後中り申し候と御意にて、御…

織田信長と前田利家(その4)

次に 利家其頃まで大髭にて御座候、髭を御取り候て、其方稲生合戦の刻、十六七の頃、武蔵守内宮居勘兵衛といふ者の首を取り侯刻、我等十一になり、合戦初に候、其首を、犬忰なれども、此手柄を見よと、我等馬の上にて振り候へば、味方気を得て、只七八百計り…

織田信長と前田利家(その3)

以上のような背景があることを考慮しながら、信長が利家に話したことを検証してみる。 利家様、若き時は、信長公御傍に寝臥なされ、 これを信長と利家が若いときに一緒に寝ていたと解釈するからおかしなことになる。 これは昔の記事にも書いたが「小姓だった…

織田信長と前田利家(その2)

⇒織田信長と前田利家のつづき 「近代デジタルライブラリー」より 一、利家様、鶴の汁上り候へば、早や御蟲に当り申し候、其故御物語なされ候、信長公、安土山御城に成らせられ候て、何れも御振舞下され、鶴色々の珍物の上に、信長公、御引物を御自身なされ候…