織田信長と前田利家(その5)

次に

御意にて、扨も忝き御諚と存ずる所に、御近習衆、通ひを仰せられ衆までも、さても〳 〵冥加なる又左殿かなと、あやかり者と奪合ひ候様に、通ひ物候故に、箸にて、忝き御諚と、ひた物食ひ過し、鶴汁を是非なく過したれば、其後中り申し候と御意にて、御笑なされ候

信長が利家に話をした後に、「御近習衆」、「通ひを仰せられ衆」までもが、利家の座に「又左殿は幸せ者でござる」と奪い合うようにやってきたということ。


利家は諸将の末座にいたのであり人々に軽んじられていた(と利家は感じていた)のが、信長の話によって我も我もと利家に擦り寄ってきた。つまり評価が上がった。信長様は自分のことをちゃんと見ていてくださったのだという話。


さて、先に書いたように、このとき利家の上座にいたであろう林秀貞佐久間信盛は後に信長によって追放される。そのことを踏まえれば、彼らの地位が高かったのは信長に信頼されていたからではない、むしろ信頼されていなかったからこそ高い地位を与えられたのだ。自分(利家)の地位が低かったのは、信長様が自分を信頼していなかったからではなく、信頼していたからこそ低い地位でも不満を抱かないと考えていたのだろうということ。そして最後まで残るのは自分のような人間であって、本当に信用されていない人間は高い地位にあっても用済みになれば捨てられるのだ。というようなことを利家は言いたかったのだろうと思われるのである。


よって男色関係にあったなんてことはこの話には全く不必要な話であって、そういう話ではないのである。


(おしまい)