誤発注と認識しながら取得することは美しい話ではない

誤発注で利益、「美しくない」=ジェイコム株取得の証券会社批判−与謝野金融相

 与謝野馨金融担当相は13日の閣議後会見で、みずほ証券が誤った売り注文を大量に出したジェイコム株を他の証券会社が買い付けたことに関連し、「誤発注と認識しながら取得することは美しい話ではない。経営者は行動の美学も持つべきだ」と述べ、証券会社の対応を批判した。誤発注につけ込んで利益を得たことに対しモラルを問うた格好だ。

 美しいか美しくないかと言われれば、道徳心がたっぷりある人にとっては「美しい話ではない」と思うのも、それはそうなのかも知れません。ただし、証券市場に美学が必要なのかと問われれば、それはそもそも考える必要がないことであると俺は思います。
 以前に「天皇は日本の中心」という武部幹事長の発言について書きましたけど、「天皇は象徴」という話なら、憲法の問題であり、国民全体に影響することであるけれど、「天皇は日本の中心」というのは、そういうことに関心がある人だけが議論すればよいことで、「証券市場に美学が必要か」というのも、それに関心のある人だけが意識すればよいことで、それに関心がなければないで構わないし、それに関心のない人でも、市場に参加する資格はあるのであり、基本的に誰でも参加することができるということが、証券市場にとって大切なことであり、そこでは「人格」は必要条件ではないと思うのであります。証券市場に何よりも必要なのは「ルール」であり、「公平」であり、「安全」であると思うのであります。
 証券市場を公平にするためには、むしろ「人格」はできるだけ無くしていく方向こそ正しいと思います。商いはもちろんのこと、投資判断まで「完全に」機械化できれば、ミスはなくなり、情報格差等の不公平もなくなります。というかそこまでいったら株式投資にギャンブル的要素はなくなります。しかし少なくとも現在では非現実的ですし、おそらく永久に不可能なことでしょう。不可能ではありますけど、方向としてはその方向に進むのが正しい証券市場改革であると俺は思います。