「ハイエナ」批判がさらに高まる

 正確には6社が利益を返上するそうで、「世の中まだまだ捨てたものではない」的なものなのですけど、そういう意見の根本には、「ハイエナ」という「卑しい行為」に嫌悪感がたっぷりあるわけです。その声は一昨日まではそれほどなかったのだけど、昨日はかなり増えてきて、今日はむしろこの方が優勢になっていると思います。俺が見た限りの印象ですけどね。
 ただし、そういう批判をしている人の多くが、一目見て証券市場に関する知識が乏しいと思われ、事実関係にも誤った認識が多数見られ、要するに、新聞やテレビのワイドショーやら、そういうものだけで、大雑把な知識の元に批判しているのだろうと見受けられます。(もちろんそうじゃない人もいます。)一方、証券市場に詳しい人は、すでに語りつくしたのでしょうか、この話題に触れる人も少なくなりました。実際に株取引をしている人にとっては過去の話題になりつつあるのでしょう。
 俺もこの話題を取り上げるのは止めようと思っていたのだけど、俺の関心は株式そのものではなく、メディアの報道の仕方とか、メディアリテラシーとか、その他社会問題としての関心であるので、引き続きこの問題に触れていこうと思います。

 で、「ハイエナ」批判をする人というのは、まあそれほど深くは考えていないのでしょうけど、単純に人のミスにつけ込むような行為は、人として最低の行為であるという、日常的な感覚から来る「正義感」から、そういう批判をするのだろうと思うわけです。
 別の言い方をすれば、「こういうことをやる連中は、他の場面でも同じことをするだろう」とか「こんなことが許されるのでは、子供に教育上良くない」とか、「日本はますます住みにくくなっていく」とか、要するに証券取引という特殊な場所で起きたことを、普遍的なものとして把握していると思われます。
 しかし、そんなことはありません。これは証券取引という、極めて限定された場所でのことであって、そこで取引をしている人が、我々と違う倫理観を持った、特殊な人間であるなんてことはありません。彼らも日常生活では、普通の道徳心を持った普通の人達です。それを混同するのは危険なことだと思います。
 これは、どこで見たのか忘れてしまったのだけど、この件について野球やサッカーに例えたブログ記事が何件かありました。野球で相手がエラーしたら、走者はそれを見て走塁します。それを卑怯だと言って批判する人はおそらくいないでしょう。ルールを守っている限り、それは普通のことであると見なされます。むしろ走らなかったら批判されるでしょう。もちろんルール違反でなくても「隠し玉」のような行為は批判されることがあります。しかし、それは野球という球技の中で、伝統として作られた「道徳」であって、何が「卑怯」な行為なのかは、野球の伝統によって判断されるもので、第三者から見て卑怯だと思われる行為が「卑怯」になるとは、必ずしも言えません。
 で、直接利害関係の無いものが、特殊な状況における行為を、自分の身の回りの出来事に当てはめて、それを批判するのは、無邪気な「正義感」から来るのでしょうけど、それが差別感情に結びつくものであるということを憂慮するのです。もちろんこれは大袈裟すぎる話ではありますけどね。差別というのは「悪い人」がするものであって、自分は悪人でないので、そんなことはしないと思っている人もいるかもしれませんけど、実際は、素朴な「正義感」が差別を引き起こすものだと俺は思いますです。歴史を振り返れば「士農工商」という身分意識がありましたけど、「商人」というのは卑しい存在だって、今では通用しない倫理観ではありますけど、かつてはそういう感覚があって、それもまた、商人を貶めようとしたというわけではなく、「正しい倫理」があって、そこから商人は卑しいという結論が導きだされたものなんではなかろうかと、まああんまり詳しくはないけど、思ったりするわけです。よく知られているように、シェイクスピアの「ベニスの商人(読んでいないけど)」でも、ユダヤ人の金貸し商人シャイロックなんて登場人物が出てきたりして、洋の東西を問わずこういうことがあったわけです。