そうとは書いていないのかもしれないが、そう受け取られてしまう可能性が高い文章

昨日、ある裁判官が、朝日の記事を読んで、事実と異なる印象を持ってしまった事例を書きました。これは、裁判官を批判するためのものではなく、真実を見極める能力が相当高いと思われる人物でさえ、事情を知らず、朝日の記事を読めば、このような印象を持ってしまうという実例を書いたものです。お間違いなく。


で、そのことを前提に、同じく朝日の「萎縮の構造」

萎縮の構図7
「クソガキ」「キモイ」――昨夏に9ヵ月の留学から帰国した後も街を歩けば、罵声を浴び、にらまれた。そのたびに、今井紀明さん(20)は2年前、イラク武装勢力に捕らわれた後、北海道の実家に届いた104通の手紙を思い浮かべた。「死ね」「税金泥棒」「非国民」――実名は3通だけだった。

イラクで人質になった今井君の話。問題はこの部分。

「事件は自作自演だったのではないか」「特定の政党とつながりがあるのではないか」――
疑問を解きほぐそうと連日、返信しているが、誹謗や中傷はなくならない。それでも最近、コメントの多くから「とげとげしさ」が消え始めたような気がしている。

これをどう受け取るべきか?
①「事件は自作自演だったのではないか」「特定の政党とつながりがあるのではないか」
②誹謗や中傷はなくならない。
この二つを繋げれば、①は「誹謗や中傷」ということになるのではなかろうか?
果たしてそうか?俺はあの人質事件が自作自演であったとは思わないが、そう疑っている人がいることはよく知られた事実である。特定の政党とつながりがあるかもしれないということは、大手マスコミも報じたことである。それについて質問するのが、「誹謗や中傷」に該当するのであろうか?


ところが、よく読めば、①と②は繋がってないようにも読めないこともない。
①のような疑問が寄せられると同時に、それとは別に「誹謗や中傷」も寄せられたと受け取ることもできる。これが書いてある、前のほうには、

火に油、だった。3日間でアクセスは約30万件に。<逆ギレはやめろ><馬鹿の見本です>。
こんなコメントが約6千。夜を徹して目を通すうちに涙がこぼれた。2月12日、ブログの更新停止を宣言した。

という文章がある。これは確かに「誹謗や中傷」に該当する可能性がある。それを指しているのだろうか?しかし読者はそう受け取るだろうか?


ついでにもう一件。「萎縮の構図6」から。

共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持ちが強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。

『自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。』とはどういう意味であろうか?
① 自分は「ネット右翼」ではないが、「ネット右翼」と呼ぶ人がいる。
② 自分は「ネット右翼」という呼び方で呼ばれている人間に該当する。
両者の意味は全く違うが、(ここだけを読めば)どっちの意味にも受け取れるだろう。読者はどちらの意味で受け止めただろうか?