単一民族神話(3)

ちなみに上のような考え方で、多様な民族という場合の「民族」は、さらに上位の民族にまとめることができるだろう。多種多様な人々が天皇や国家の元に統一されていると考えれば、それらの人達を「日本人」という一つの民族として捉えることも可能だろう。


とすればアイヌという少数民族もまた現在では「日本人」だ。つまり日本は「日本人」による単一民族国家であると考えることは可能だ。


それはあまりにも強引だと考える人もいるだろう。というか俺もそう思うけど、理論的にはそういうことになるのではなかろうか。
アイヌ等の比較的最近「日本人」になった(させられた)人達と、長い歴史を経て一つのまとまりとなった人達を同列にするのには違和感がある。
とはいえ、一つのまとまりであった我々も完全にまとまっていたわけではない。それが「日本人」になったのは、近代国家が誕生してからだ。
そういう意味では、我々本土の人々もアイヌの人々も「日本人」になった歴史はそれほど違いがあるわけではないともいえる。


ただし、我々(北海道・沖縄等を除く)日本列島の住人のほとんどは、日本の歴史を過去からの連続と捉えることができるのに対し、「少数民族」の人達の歴史は断絶しているように見えてしまう。「日本の歴史」といった場合、鎌倉幕府の誕生とか、室町幕府であるとかの「中央の歴史」。東北に住んでいようが、九州に住んでいようが、それで特に違和感はない(地方史というものはもちろんある)。ところがアイヌの歴史や沖縄の歴史は、それとは断絶している。
ところが、じゃあ何で日本列島の住人は「中央の歴史」を自分達の歴史と認識しているのかっていうと、それは中央の存在価値が大きいからだと思うんだけど、よくわからん。


「日本とは何か」「日本人とは何か」っていう問題は考えれば考えるほど難しい。


えーっと、で、何が言いたかったかっていうと、まあ、民族ってのは、なかなか厄介な問題で、そう簡単に答えが出てくるもんじゃなくて、単純な単一民族説を批判している人の根拠も、それはそれで、そう単純なものでもないでしょうと思ったわけ。本当はもっと突っ込んで書きたかったんだけど、なにぶん知識不足なもんで、収拾がつかなくなってしまった。