「ある」ことの証明

ドリフの「8時だよ!全員集合」。志村けんが一人でいると、そこにお化けが現われる。志村が驚いて、いかりや長介達に「お化けが出た」と呼びにいくんだけど、その間にお化けは消えてしまって、嘘をついていると思われて叱られる。それでまた志村が一人になるとお化けが現われる。それでまた呼びに行くとお化けは消えてしまう。


ただし、観客や視聴者はお化けが出たことを知っている。舞台の世界ではお化けが存在することは事実だ。ところが観客が長さんにお化けが本当に出たって訴えたって長さんには声が届かない。そして長さんはお化けの存在を信じない。


志村と長さんのどちらが正しいのか?
お化けが存在するのは事実なのだから、志村の言っていることはが正しい。
しかし、証拠がないのに志村の言うことを信じるということは、志村が嘘を付いた場合にも信じてしまうということだ。だから証拠を示すことができない志村を信じない長さんも(結果的にお化けが本当にいたとしても)正しい。志村が長さんに信じてもらうためには証拠を示さなければならない。


悪魔の証明」という言葉はかなり有名になったけど、ウィキペディアにも書かれているように、

「ある」と主張する側が議論を確定させるほど証明力のある証拠を提示しないとしても、『「ない」ことの証明』にはならないということにも留意すべきである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
ということはしっかり頭に入れておかなければならない。ここが肝心だ。


『「福島瑞穂の迷言」という都市伝説について(事務所コメント付)』(成城トランスカレッジ!)
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060606/p1
2ちゃんねる等で有名な「朝まで生テレビ」での福島社民党党首の発言とされるコピペはガセビアだという話。本当にそんな発言があったというソースが示されない以上、このコピペを信用することはできない。それは全くその通りだ。「ある」と主張する側が、「ある」を証明すべき。


ただ「ガセビア」とは何か?という問題がある。「ガセビア」とは、本物だと証明できないものだという意味なら問題ない。しかし、これを偽物だと証明されたというように受け取る人がいるかもしれない。その場合は、偽物だと主張する側に証明する責任があるということになる。この記事でわかるのは、本物であるという証明ができないということであって、偽物であるという証明ではない。ここを勘違いしてはならないと思う。
(もちろん偽物だと証明できないから本物だというのはトンデモさんの常套手段)


で、問題のコピペなんだけど、既に同種の意見が出ているけど、俺も見た記憶があるんですよね。それにあのコピペ最初に見たとき、ちょっと違うなと思った記憶もあるんですよね。それがどう違うということだったのかが思い出せない。記憶違いかもしれないが。