出典のない話

商人の語源(思いて学ばざれば)
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20060710/p2
「商人」の語源が「商(殷)」滅亡後、「あきない」を行なったことからという話はガセらしいという話。
俺がこの話を知ったのも、司馬遼太郎の小説だったような気がするが定かではない。その後も度々目にするし、検索すればいっぱい出てくる。しかも素人だけが言っているというわけでもない。それがガセだというんだから衝撃だ。正直、最初読んだとき素直に信じられないと思った。


とはいえ、確かによく考えてみると、それらの主張には出典がない。そしてド素人の俺には出典を探す手がかりがない。つまり確認のしようがない。お手上げ。


で、その後のコメント情報によると、この説は「小島祐馬」という人が唱えた説であるそうだ。それに対して白川静氏が否定的な見解を出しているそうだ。


ということは、どちらの説が正しいにせよ、これは日本の学者が近代になってから唱えた説だということだ。この時点で俺が当初持っていたイメージと大きく異なっていたのでびっくり。というのも、俺は中国の古典にそのようなことが書いてあって、それを採用したものであろうと思い込んでいたからだ。今から思えば何の根拠もないことであった。反省。


しかし、まだまだそのような「勘違い」をいっぱいしているのは間違いないだろう。最近知ったことはともかく、昔それほど厳密に考えていなかった頃に刷り込まれてしまった知識は、誰かに指摘されるまで、余程のことがなければ自分で気付くのは難しいかと思う。なんかくやしいけど。


※ちなみに図書館の漢和辞典で【商】を調べたところ以下のような記述があった。どちらも出典は書いてない。

司法権を持つ高殿の所在地、殷の都の名。殷滅亡後、遺民が行商に従事し、あきなひの意となる。
(『大漢和辞典』 諸橋轍次 大修館書店) 昭和59年版 注:原文は旧字

殷人は高台に集落をつくり、商と自称した。周に滅ぼされたのち、その一部は工芸品の行商を行とし、中国に商業がはじまったので、商国の人の意から転じて、行商人の意となった。
(『学研新漢和大字典(机上版)』 藤堂明保 加藤喜光) 2005年