自主ルール

また不二家ネタ。不二家は違法なことはしていないのに、厳しすぎるのではないかという意見がある。それについて考えてみる。


と、その前に、関係ないようだが、「自由」というものについて考えてみる。


自由(ウィキペディア)


俺は、自由な社会とは、人々が勝手気儘に行動するのではなく、自らを律する社会的通念に反しないルールを作り、そのルールに従って行動し、そのルールを守っている限り、他者が介入してはならないという合意ができている社会ではないかと思っている。逆に自由でない社会とは、人々が自らを律することができず、国家権力の過度の介入を許してしまう社会。もちろん国家権力の介入が全く無い社会というのは空想的であるが、それを必要最低限に抑えるのが、理想的であると思う。国家権力が個人の領域に過度に介入し、日々の生活を法律でがんじがらめにしている社会など考えるのもおぞましい。


それは企業活動についても同じ。国家は大まかなルールを作り、業界や企業はそれに準じて、自らを律する具体的なルールを作り、それを遵守する。それが企業活動の自由を守るということではなかろうか。現実に日本における行政と企業の関係はそのようになっているのではないだろうか(それは建前で実態は違うかもしれないけれど話がややこしくなるのであえて無視…)


例えば、「自主ルール」でグーグル検索すると現在トップにくる、「個人情報の保護と利用に関する自主ルール」(全国銀行協会)の「Ⅰ.総則 1.目的」には、「本自主ルールは、全国銀行協会の会員銀行(以下「銀行」という。)が、関連法令等を遵守しつつ、個人情報の適切な保護と利用を図ることを目的とする。」と書いてある。法律で細かいルールを決めるのではなく、業界が自主的にルールを作るのである。


もちろん「自主ルール」だから、違反しても法律違反でない限り、法律で罰せられることはない。業界内での制裁(除名とか)や社内処分ということはある。法律でないからといって甘くはない。自主的な運営ができない、あるいは適切なルールを作らないということは、法律で罰することができないなら、罰することができるようにすればいいではないかという方向に進み、自由が阻害される恐れがあるのではないだろうか。そんな社会は望ましいものではない(と俺は思う)。


もちろん、ただのバッシングになってはいけない。企業が自主的に己を律することができているのかということに限れば、企業に対して厳しい目で見ていくことはよいのではないかと思う。と同時に過度の国家権力の介入を監視する必要があると思う。企業が自己を律することができないからと安易に国家権力の肥大化の方向に行くのは嫌だ(と俺は思う。そうでない人もいるとは思う)。


この企業の自主ルールの精神については、企業法務の専門家はどのように考えているのか興味あるところなんだけど、今は調べている時間がないので、ぼちぼち調べてみようと思う。