脊髄反射

俺はどうも「大衆は馬鹿だ」とか「愚民」だとか「衆愚」だとか、この手のことに脊髄反射してしまう傾向があるようだ。そういうものに胡散臭いものを感じる。


過去の偉人たちは、どういう意味で「衆愚」を批判したのか昔から関心があるが、まだよくわからない。なんとなくだが、民が愚なのではなく、衆が愚なんだと、そういうことなんじゃないかと思っている。愚かな個人の集まりというような解釈は違うのではないかと思う。


そりゃ完璧な人間は存在しないし、間違うことも多いだろうけど、それにはそれなりの理由があると思うし、それを嘆いたって、それが現実の人間というものなんだからどうしようもない。その完璧ではないが、個別の事情によって様々な考えを持つ人達をひっくるめて、「正しい方向」に導こうとすること。それが「衆愚」をなくすことだと考えている人がいるように、個人的に感じることがあるんだけど、それこそが「衆愚」への道ではないのかと、あるいは単にある「衆愚」から、別の「衆愚」へ転換するだけなのではないかと、まあ、よくわからんけどそんなふうに思ったりする。