福島県会津地方の北西部、三国岳から飯豊山に、ひげのように細長く延びている県域がある。これは福島県側の地域住民の信仰上の理由で、ご神体となる飯豊山への参道を確保したためである。
面白い。が、謎がある。会津といえば「賊軍」。それにまつわる事情が絡んではいないだろうか?
と、思って調べてみたら、詳しい事情が書いてあるページがあった。それによると、事の発端は廃藩置県で出来た福島県の県庁が福島にあり、県の北に片寄りすぎていることから始まるそうだ。
⇒飯豊山のへその緒(井手敏博の日々逍遥)
そこで福島県議会は断然県庁を郡山に移すべきことを決議した(1885)のだが、内務省は「賊軍がなにをいうか」とばかりに、翌年福島からもっとも遠い東蒲原郡を分離して新潟県に編入し、中央に楯突く地方の意向を踏みにじって問題を決着させた。
こちらも詳しい。
⇒板谷峠&将軍杉(峠を越えて)