右からも左からも叩かれる

先月のことだが、雪斎先生がブログの運営を停止された。

雪斎の随想録: 「やってられないわ」という気分


俺が最も注目していた保守の論客だっただけに誠に残念。
出でよ、新しき保守論客 - 国家鮟鱇


先生のような立ち位置が「世には中々、理解されない」のは、それが現実なわけです。だからこそ先生のような人に存在意義がある。だから「理解されない」、しかも、その中でもかなり低次元の「理解されない」という話だから、それが本音なら少し失望。多分、実際は様々な理由が重なってのことなのでしょう。


で、前にも書いたけれど、俺は自分が保守だと認識しているにもかかわらず、保守系論客で支持できる人がほとんどいない。それがなぜかと考えるに、彼らの立ち位置は、自分達の属する側と異なる主張をするからという理由で敵の陣営に属しているのだというレッテルを貼られやすい。だから右からは左と呼ばれ、左からは右と呼ばれるような、どっちからも攻撃されやすい立場にあり、それを本人も自覚している。その自覚が「自分に対する批判はどれも的外れのものだ」という感覚につながり、実際そういう批判が多いのだけれど、それが(悪い意味での)唯我独尊状態を招いているところがあって、そこのところが俺に拒否反応を起こさせるんじゃなかろうかと思う(実際はそうじゃないのかもしれないけれどそう感じるという意味)。雪斎先生はそういうところがあまり感じられなかったので、好きだったんだと思う。