通り魔の孤独

某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント - MIYADAI.com Blog

 厳しい家庭で優等生として孤独に過ごした加藤容疑者は、進学上の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。成績よりも友達がいないことを心配しない大人たちのダメさに問題を感じる。ネットの影響だのPCゲームの影響だのという議論は笑止だ。

この事件に関して細かくチェックしていないんだけれど、ネットを巡回したり、テレビを見ていれば、それなりの情報は耳に入ってくる。容疑者の「孤独」について論じているものも多く見かける。容疑者が「孤独」を感じていたのは確かなんだろう。


確かなんだろうけれど、人付き合いが苦手な者の一人として、ひとこと言わせてもらえば、報道されている通りだとすれば、この容疑者は結構人付き合いをしているように思う。


「もう死ぬ」「だめだ」加藤容疑者、同級生にメール繰り返す : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
俺が20代の頃には、メールなんて無かったからよくわからないけれど、自殺をほのめかすようなメールを送るなんて、それなりの人間関係がなきゃできないことじゃないのだろうか?それほど親しくない相手に一方的に送ったって可能性もあるんで一概には言えないけれど。


あるいは、
ZAKZAK - 秋葉原無差別殺人「下半身コンプレックス」赤裸々に
同僚とドライブに出掛けたこともあったという。つまり、職場で話し相手が一人もいないというほどの「孤独」ではなかったということ。


彼は「友達がいない」と掲示板に書き込んでいる。それは本心だったのだろうが、その意味するところは「遊び友達」はいても、彼の理想とする「友達」ではなかったということなのではないのか。


で、コメントした時点での宮台先生には知る由もなかったことだろうし、俺もこれ書くために検索して知ったのだけれど、アエラの記事によると、加藤容疑者はゴールデンウイーク中、会社の同僚と4人で「アキバツアー」を実現させたそうだ。
ピックアップ記事(AERA-net.jp)


宮台先生の言うように「友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない」のかどうかは知らないけれど、彼に関しては、それが問題だったとは思えない。


で、

成績よりも友達がいないことを心配しない大人たちのダメさに問題を感じる。

の「友達がいない」は、実際は「友達がいないと思い込んでいる」ということであり、それは外側から「友達とは何か」を決める「共通のモノサシ」を使っていたのでは、注意深く観察しなければわからないものであり、そのため「孤独」であるということ自体が、他人には理解しにくいことであり、その理解されないことが、さらに彼を孤独にしていったのではないかと、もちろんこれは推理に過ぎないのだけれど、そんなことを思ったりするのである。