そのエネルギーになったのは、農村の中で時間と空間を共有し、家族や同胞のために限りなく働く勤勉の倫理だった。それは生活のためという以上に、個を犠牲にして共同体につくす贈与だったのである。
日本が非西欧圏でまれな経済発展をとげた一つの理由が、この勤勉であることは疑いない。それを支えていたのは金銭的なインセンティブではなく、共同作業に喜びを見出すモチベーションだった。
速水融氏の『歴史人口学で見た日本』は図書館で借りて読んだことあるけれど、こんなこと書いてあったかなあ。
でも手元にないから確認できない…
検索したら、この記事が詳しかった。
⇒sociologically@はてな - 速水融『歴史人口学で見た日本』
(追記 21:42)
ちょっと訂正 (池田信夫)
2009-05-10 20:19:18
速水氏の「勤勉革命」は、近世以前の農業との違いを強調し、農地が分割所有されたり貨幣経済が入ったりして、農民の生産物が自分のものになったことが勤勉の原因だとしています。「滅私奉公」を強調したのはミスリーディングなので、削除しました。ただしこの労働倫理は、西欧のプロテスタンティズムのような個人主義ではありません。水利構造から農作業の分担まで、村の統制なしでは農業はできなかったので、共同体の制約は非常に強い。
だそうです。