木戸孝允の木戸はどこから?

姓について考えていたら、そういえば幕末・明治の偉人には姓名が変化した人が多いよなと思って、試しに木戸孝允桂小五郎)について調べてみた。

名前の大まかな推移は、和田小五郎(元服して正式に桂家を継ぐまで)→桂小五郎(15歳以降)→木戸貫冶(33歳)・木戸準一郎(33歳以降)→木戸孝允(36歳以降)である。43歳(年齢はいずれも満年齢)で逝ってからは「松菊木戸孝允」「木戸松菊」あるいは「松菊木戸公」とも呼ばれる。

木戸孝允 - Wikipedia

天保4年6月26日(1833年8月11日)、長門国萩呉服町(今の山口県萩市)萩藩医 和田昌景の長男として生まれる。和田家は毛利元就の七男毛利元政の血を引くという。母はその後妻。前妻による姉が二人いる。長男ではあるが、病弱で長生きしないと思われていたため、長姉に婿養子文讓が入り、また長姉が死んだ後は次姉がその婿養子の後添えとなっていたため、天保11年(1840年)、7歳で向かいの桂家の末期養子となり(養父:桂九郎兵衛(家禄150石))、長州藩の大組士という武士の身分と秩禄を得る。翌年、桂家の養母も亡くなったため、生家の和田家に戻って、実父、実母、次姉と共に育つ。

生家は和田氏。7歳で桂家の末期養子となる。ってことなんだけれど、和田家と桂家の関係って?ご近所さん?どちらも本姓は大江氏らしいけれど、血縁関係は薄そう。

「木戸」姓は、第2次長幕戦争前(慶応2年(1866年))に藩主毛利敬親から賜ったものである。それ以降、それまでの「桂」姓に替えて使用し始める。

「木戸」という姓は一体どこから来たのだろう?


歴史大好き人間ですが、どなたか教えてください。 長州藩「桂小五郎」が後に、「木... - Yahoo!知恵袋
その他、疑問を持ってる人はいるみたいだけれど、結局答えが出てない。


あと、桂家と木戸家の関係はどうなってるの?桂が木戸と姓を変えたのか?それとも木戸家という新しい家ができたのか?ちなみに高杉晋作は谷潜蔵と名を変えたけれど、この場合は谷家の初代当主ということになるらしい。

慶応元年(1865年)1月11日付で晋作は高杉家を廃嫡されて「育(はぐくみ)」扱いとされ、そして同年9月29日、藩命により谷 潜蔵と改名する。慶応3年(1867年)3月29日には新知100石が与えられ、谷家を創設して初代当主となる。

高杉晋作 - Wikipedia


長州藩の場合、藩命でってのが多いみたい。