「負の教養主義」2

54. 「そんなの知らない」と誇らしげに言う人たち。 〜「下から目線」と「負の教養主義」(2):日経ビジネスオンライン
の「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」(小谷野敦)からの引用。

〔…〕日常の会話で、文化的な、高尚な話をするのはタブーであり、話題として許されるのは、藝能界の話やエロ話、教師の悪口といった、極力下賎なものに限定されていた。教科書に高橋和巳の文章が載っていたことがあった。〔…〕
生徒らは、その頃高橋カツミとかいう野球選手がいたらしく、カツミなら知ってるけど、和巳なんか知らない、と口々に言い、〔…〕知っていて知らないふりをしている者もいたかもしれないが、むしろ彼らにとって重要なのは、文学者の名前など知らないということであって、それが彼らにとっては名誉なのである。


一方、こっちは『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』(青木薫訳 新潮社)から、

ニューヨーク大学の教育史家ダイアン・ラヴィッチが、『ニュー・リパブリック』誌の一九八九年三月六日号にこんなことを書いていました。「ニューヨーク市のハンター高校の女子生徒はこう語った。「成績はオールAですけど、友達とかには絶対言いません……悪いふりをする方がクールってことになってますから。勉強好きなのがわかると、ダサイって言われるんです」……少女たちの頭には、テレビや映画や雑誌やビデオなどから流れてくる大衆文化のメッセージが叩きこまれている。ポップでセクシーで"クール"な方が、知的で教養があって率直であることよりも良いことにされているのだ。

ま、そんなもんなんでしょう。少し前にテレビで見た中国の小学校の風景はまるで違っていたけど。