次世代へのつけ回し

介護は成長分野なのか: 大石英司の代替空港

 介護は成長分野か? という問題で私が否定的なのは、お金の出所が引っかかるからです。子どもは多くの財布を持っています。両親に、それぞれの親=両家のジジババに、叔父叔母の財布もあります。それを育てるのは、9割方親の所得です。無論、公教育に多額の税支出はなされますが。
 一方、老人が持っている財布は何か? いざ介護となった時に、老人が頼る財布の正体は何か? 若干は自分の蓄えを切り崩したり、自分の娘息子を頼ったりはするだろうけれど、かなりの部分は税金であり、その正体は赤字国債ですよね。その借金を支払うのは、自分の子ども達であり、孫の世代です。
 今後とも、その状況は変わらないでしょう。それ所かますます税依存は酷くなる。その老人介護は、次の世代へのつけ回しで支払われる。こういう状況を経済学でどう表現するのか知りませんが、支出の大部分を税金、赤字国債という形で次の世代につけ回しするしかない分野が、成長分野だとはとても思えないんですよ。
 もちろん、姥捨て山を作るわけにいかないから、そこにお金を掛けるしかないんだけど、どうしても赤字国債を刷って税支出するしか無いのであれば、私は他のことに使うべきだと思います。介護士を増やすよりは、保育士を増やした方が前向きでしょう。

この前書いた年金の問題と似ていると思うんだけれど、老人介護は「札束」がやるわけじゃないんですよね。じゃ誰がやるかといえば勤労世代ということになるだろう(健康な老人がやる場合もあるだろうけれど)


で、この介護士を大石氏がコメント欄で書いてるように「東南アジアから二束三文で連れてくる」のではなくて国内で調達するとする。すると、老人介護のために国が支払ったお金は結局のところ国内の勤労者の手に渡ることになりますよね(一部は経営者の手に渡るけど)。その勤労者は消費をするけれど消費する財を作るのも勤労者だからその手に渡ることになる(健康な老人がやる場合も消費すれば結局勤労者世代の手にお金が渡ることになるでしょうね)。


ただし、介護するということは、勤労者の中から、それに従事する人を割り当てるということだから、介護以外の労働に従事する人がその分減るということになる。すなわち生産性など他の条件が変化しなければ、介護以外の財・サービスの供給が減るということになり、勤労者世代の生活の質が落ちるということになる。


これは次世代へのつけ回しなんかじゃなくて同時代的に起きることですよね。


ただし、話はそう単純じゃなくて、今のように人が余っている状態なら、その人材を介護サービスに当てることにより雇用者対策になるので、失業手当や生活保護、その他の費用が節約できることになる。


人手不足になるか、人余りが解消されるのか、俺には予測できないけれど、どっちにしろ介護をやらないわけにはいかないので、ある程度の人手は介護に回されることになるでしょう。


これをもし海外の労働者に頼るとするなら、人手不足の場合ならともかく人余りの状態だと、国内に職が無い人がいるのに海外から労働力を輸入するという、今のヨーロッパのような状態になってしまい社会問題化するでしょうね。


…ということが一番の問題だと思うんだけれど、もちろん経済のド素人だから自信があるわけではない。