科学至上主義

最近「科学至上主義」という言葉を何回か目にしたんだけれど、俺が「科学至上主義」と聞いて真っ先に思い出すのは『人はなぜ騙されるのか――非科学を科学する』(朝日新聞社)の著者である安斎育郎氏。


ところが、世間的には安斎氏は「科学」と「価値」を区別しているとか、宗教者との相互理解を大切にしているなどと言われ評価が高い。俺には冗談にしか見えないけれど。



以下、『人はなぜ騙されるのか――非科学を科学する』より(注:大昔にメモったものだから写し間違いが多少あるかもしれん)

真言密教には「入定留身」といわれる奇蹟談がある。「弘法大師は今なお生きたままのお姿で高野山奥の院で苦しむ人々の救済に当たっておられ、弥勒菩薩の出現を待っておられる」というのだ。

この種の命題については宗教も科学を敵に回すような意固地を張らない方がいいと思う。たとえ弘法大師の身は滅びても、大師の思想が脈々として現代に生きているのなら何の不都合があろう。

 宗教が人々の「価値の選択」に影響力を及ぼし得るためには、当該宗教が掲げる価値観と同じ価値観を共有する人々を大量に作り出す必要がある。そのためには、「科学的命題」と「価値的命題」を峻別し、現代科学が到達し得た体系的認識と矛盾する主張は、科学の発展段階に即して大胆に再評価することが必要である。それは、宗教が提起している固有の価値体系の訴求力を少しも傷つけないであろう。


要するに氏は「宗教は科学の下僕になるべし」って言っているんだとしか俺には見えないんですけどね。宗教の大切な部分を「部外者」が都合よく解釈しておいて「何の不都合があろう」とか、宗教への冒涜でなくてなんであろう。でも、おそらくこういうことを言っても、宗教を全否定などしていないとか、宗教の価値を認めているのだと本人は考えているんだろうし、だから「科学至上主義者」じゃないんだというような評価をナチュラにしてしまう人は多いんだろうなと思う。