原発事故と偏見とゴルゴ13と正確な知識と人類愛

東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見 - 毎日jp(毎日新聞)


ゴルゴ13は背後に立たれることを極度に嫌う。利き手を相手に預けることになるので握手を滅多にしない。
ゴルゴ13 (架空の人物) - Wikipedia


何もそこまで用心する必要がないのではないかと思われる場面でもゴルゴ13は用心を怠らない。


リスクを避けるには二通りある。正確な知識を得ることと、リスクに近寄らないこと。


絶対に正確な知識など有り得ないので99.9999%の確率で正しいように思えても、リスクを取る必要が無いのであれば、リスクに近付かない方が勝れている。ゴルゴ13の行動は極めて合理的である。


では我々一般人もゴルゴ13を見習って同じ行動を取るべきか?


言うまでもなく、そんなことをしていては変人扱いされて友達を無くす。ゴルゴ13は最初から人からどう思われるかとか、友達が欲しいとか、そういった人並みの感情を捨てているからこそ、そうした振舞いができるのだ。


そもそも握手とは「武器を隠し持っていないことを示すための意味があったと推測されている」。
握手 - Wikipedia


殺されるかもしれないリスクにあえて無防備に近付くことによって信頼を得るためのものだ。共同体の中で人々が連帯して生きていくためには、リスクがあるとわかっていても、あえてリスクのある行動を取る必要があるのだ。



今回の震災の被災者・避難者と接触したからといって、人体に危害が及ぶような悪影響があるなどということは科学的にはありえない。しかし、一般人でそれを情報として知っている人は多いだろうけれど、科学的に正しく理解している人がどれだけいるだろうか?俺は理解できてない方に入る(「要は大丈夫なんだろ」っていう程度の知識)。さらに、現代の科学が絶対に正しいとは限らない。後で間違いだとわかったとしたら事は健康に関することなので取り返しのつかないことになる。しかもまさに今は原発事故で科学への信頼が揺らいでいるときだ。


したがって、ゴルゴ13的な生き方を良しとするならば、極微小なリスクでも取らなくても良いのなら取らない方がいいということになる。


さらに自分はともかく我が子だけは守りたいという考えがあれば、その思いは強固なものとなり、人目など気にせずそれを貫き通すことだってできるだろう。しかも相手は近隣の住民ではなく、長期間付き合う予定のない赤の他人だという認識があれば…



だが、もちろんそれで良いはずがない。


では、どうすれば良いかといえば「正確な知識」を得ることが必要なことは言うまでもないが、上に書いたような理由でそれだけでは不十分ではなかろうか。被災者・避難者は赤の他人ではなくて、同じ共同体の一員であるという認識を強く持つ必要がある。そして、共同体には、家族・地域・国、そして人類共同体という様々なものがあるけれど、今最も必要とされているのは自分が人類共同体の一員だという認識だということになるだろう。