「典型的日本人」ではなくて「典型的インテリ」だと思う

丸山の議論がほとんど過不足なく当てはまる典型的日本人だなあ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)


このブログで何度も取り上げているけれど、ピーター・ドラッカーの『イノベーターの条件』(ダイヤモンド社)。

 彼らは自らの教義が理性的であるとする。理性的な手段によって、自らの教義に意味のある働きをさせることができると主張する。彼らは、自らの教義の正しさは理性に照らして明白であるという。かくして理性主義のリベラリズムは、自らの教義を理性の力によってしか政治行動に移せないことになる。そして失敗する。
 一方において、彼らは反対論を認めることができない。絶対真理に対する反対だからである。他方、彼らは反対論と戦うこともできない。間違いは情報不足の結果にすぎないからである。彼らにとって絶対真理に対する反対は何かの間違いにすぎない。ヨーロッパ及びアメリカにおいて、一九二〇年代、三〇年代にはやった「インテリは左たらざるをえない」とのセリフほど、この間の事情を明らかにしているものはない。

「彼らにとって絶対真理に対する反対は何かの間違いにすぎない」とは、つまり。反対意見を言うものは、「馬鹿」か「精神異常者」か「何らかの不純な動機のために嘘をついている」ということでしょう。


彼らは、反対論者と議論することを無意味だと感じる。なぜなら議論の結果が自分達が正しいということになるのは最初から決まっていることなのに、いつまでたってもそうならないから。相手が馬鹿や精神異常者なら相手をしても仕方がない。「嘘つき」なら相手は絶対真理が正しいことをわかっているのに、意図的に嘘を付いているのだから「正論」をいくら言い立てても無駄である。


そういう信念が行き着く先のお決まりのパターンの典型例というに過ぎないでしょう。