「英断」は否定すべきなのか?

池田信夫 blog : 「水戸黄門」の正義 - ライブドアブログ

池田信夫氏は浜岡原発の「停止要請」が気に食わないのだろう。それはそういう考えであっても別に構わない。ただ「英断」については、「間違った英断をした」と批判するのならいいけれど、「英断」そのものを否定するは俺は同意しかねる。


小泉純一郎ハンセン氏病訴訟の控訴断念、そして昭和天皇終戦の決断等、「英断」が無かったらどうなっていただろうか?


ところで池田氏は「法の支配」という言葉を使っている。似た言葉に「法治主義」というのがあり、両者は別物だ。
法の支配と法治主義(法の支配 - Wikipedia)


俺はそれについて詳しくないし、この件についてその違いを適用して上手く説明できないんだけれど、なんかごっちゃになってる感じがする。


(追記)
検索したら良記事があった。是非読むべき。
法の支配と法治主義 - triport pier


(追記)

法の支配は、世俗的権力の上に神の法を置くキリスト教の生み出した特殊西洋的な概念。日本人には永遠に理解できないだろう。 http://ow.ly/aDLr8

Twitter / @ikedanob
Twitter / @ikedanob
こんな解釈初めて聞いた。


(追記)
ちなみに「水戸黄門漫遊記」も「大岡政談」も史実じゃない。


(さらに追記)
日本人には「法の支配」の意識が希薄だって意見が結構あるんだけれど、その意見の中身は千差万別。俺が考えるには「コモン・ロー」というのは、

コモン・ローは、歴史的には、イングランドにおいて、それぞれの地方における地域的な慣習に優先する全国共通の慣習にしたがって裁判の準則を醸成する過程において登場した概念である。コモン・ローが、特にもっとも一般的な用法として、中世イングランドの国王裁判所が発展させてきた法体系を示す用語となった理由としては、ノルマン人の王朝が従来のアングロ・サクソン人のそれぞれの地方の慣習に優越する概念として「王国の一般的慣習」(general custom of the realm)の意味でコモン・ローという用語を用いたのがきっかけである。

コモン・ロー - Wikipedia
とあるように「王国の一般的慣習」という意味がある。一方、日本の近代以前は「それぞれの地方における地域的な慣習」が強力だった。幕府といえど容易に大名の内政に介入できないし、藩もまた村落の自治を尊重してたわけだ。大岡越前でいうなら100万都市といわれる江戸の町人は50〜60万人に対し、町奉行は2人で、南北それぞれ与力が25人、同心120人程度の人員しかいなかった。自治なくして運営できようはずがない。共同体ごとに法があるわけだが、その多くが成文化されてない慣習法であっただろう。で、その慣習法は権力者といえどもみだりに犯すことができないと考えられていたのではないか?したがって、日本人には「法の支配」の意識が希薄だといっても、それは権力者の裁量が多かったという意味にはならないと思う。ま、よくわからないんだけど。