絶望的なまでのリテラシー能力の欠如

先の騒動では「騙された奴が批判している」という主張が嘲笑され「騙された奴」を笑う人間がいかにリテラシー能力を欠いていたかをまざまざと見せ付けたわけだが、話はそこで終わりじゃなかったんだなこれが。


はてなブックマーク - 誤解した方が都合がいいときにわざと誤解する戦術は効果的なんだ、現実には - @fromdusktildawnの雑記帳


「誤解したフリをしてデマを広める人たち」は本当にいたの?


俺は確認できてないんだけれど…


確かに「誤解したフリをした」と考えられる人は確認できた。ただしそれは「釣り記事に対する礼儀」として騙されたフリをしたみたいな種類のことであって、ここで言われている「それが事実かデマかに関係なく広めたい」ということではない。


この記事に納得した人は「誤解したフリをしてデマを広める人たち」の実在を確認したのであろうか?

        • -

そもそも「誤解したフリをしてデマを広める人たち」というのがどういうことをした人なのかがわかりにくい


記事の前半にこう書いてある。

人間というのは、誤解した方が得するときは、無意識のうちに誤解して、その誤解に基づいた発言をする。

そして次に

また、記事本文を読んで嘘ニュース記事だと知った後も、
「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」
というツイートを流す。
それを見て、記事本文を読まずに「またハシズムか!」
脊髄反射する人たちが多数いるだろうことを半ば無意識の前提としながら。

とある。


これは、

またハシズムか!、市内の小中学生にツイッターを義務化 - http:/XXXXX

のようなツイートをした後に嘘だと知り、今度は騙す側にまわって新規にツイートしたということだろうか?「流す」と書いてあるからそのように読める。しかし、そんな人はいただろうか?


強いて言えば、新規にツイートしたのではなくて、誤解したツイートを削除せずにそのままにしたという意味にも受け取れないこともない。その場合「流す」ではなく「流したままにする」と書くべきだと思うが。


たがそれが「脊髄反射する人たちが多数いるだろうことを半ば無意識の前提としながら」のことかといえば違うんじゃね?と思う。単に拡散する恐れがあるという発想が無かっただけじゃね?と思う。「騙された人」のほとんどが直後に「デマでした」みたいなこと書いてるし、どっちかというと「皆が気付いたのに俺だけ騙されて」みたいな感じで、さらに騙される人がいるかもなんで余裕は無いっぽい感じがするし。



あと、最初に書いてある

人間というのは、誤解した方が得するときは、無意識のうちに誤解して、その誤解に基づいた発言をする。

の「誤解」は「ガチの誤解」のこと。本人は本気で本当のことだと信じている。「無意識」がそうさせたのだ。という意味でしょう。つづけて「また、記事本文を読んで嘘ニュース記事だと知った後も、」とあるから間違いない。万一俺が間違っていたとしても「誤読」の責任は俺にはないだろう。


一方、

「誤解した方が得なときに誤解する」という邪悪な行為をやるかどうかは一種の美学の問題でもあり、

「誤解」は文脈上「意図的な誤解」のこと。嘘だと知りつつ騙されたふりをして情報を拡散するという意味でしょう。何度も読み返したけれどそうとしか読めない。「無意識」だったら「美学」も何もないと思うし。そして多くの人がそう理解している。


両方とも「誤解した方が得するとき」と書いてあるけれど「誤解」の意味が違う。


これはどう考えたって「悪文」でしょう(「釣り」の可能性もあるけど)。