土用の丑の日(その6)

『神田の伝説』(清水晴風著 神田公論社 大正2 近代デジタルライブラリー)より

又今日夏の土用の丑の日に、鰻を喰べるといふ習慣の起りは源内の奇才からだといはれて居る。其の当時鰻屋が源内に銭儲(かねまうけ)の話をすると源内は直に筆を執つて「明日丑の日」と大書して主人に之れを店頭へ掲げさせ、又「今日丑の日」と認(したた)めて当日之れを同じく店頭に出させた。すると果して常に比して十倍の客があつたとのことである。

本のタイトルが『神田の伝説』であるからして、そういう「伝説」(民間伝承)があったのは事実ということなんだろう。いつからある伝説かはわからないけれど。



ちなみにこちらがウィキペディアの説明。

鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年–1823年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。

それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。

土用の丑の日 - Wikipedia


『明和誌』にその話がないことは既に書いた。


では出典は何かといえば、こちらも「伝説」なんだろうけれど上にはない話(「商売がうまく行かない鰻屋」「夏に売れない鰻を何とか売るため」「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」「物知りとして有名な源内の言うことならということで」等)が含まれている。


故に『神田の伝説』が直接の出典でないことは確かだ。別のソースがあるのだろうか?それとも『神田の伝説』が大元でそこに加筆されたものなのだろうか?


(追記7/14)
ところで「10倍の客があった」としてもそれに応じられるだけの在庫がなければ売ることができないわけで。客が増えたからといって「それじゃちょっとウナギ捕ってきます」みたいにはいかないと思うのだが、そこんとこどうなってるんだろう?