「りふれは」という表現が気に入らないなら代案を示すべき

俺は「はてな匿名ダイアリー」の存在意義が理解できないのでほとんど取り上げないのだが、たまたま見てしまって気になってしまったので。


『りふれは』とか『扇動のための不当表示としての「リフレ派」 』とか言う人って

『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示〜』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。

つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレ(おそらく実際はそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。

「りふれは」というのはhamachan先生がクルーグマンと異なり増税財政支出の拡大を否定する人達を区別してそう呼んでいるわけですよね。したがって「リフレ派」全体を否定しているわけではないということはブログを読んでいればわかりそうなものですね。一方jura03さんは「リフレ派」の中の「りふれ派」を批判しているかもしれないけれど、主な主張は「リフレ派」自体の「学問としてのリフレ」の問題じゃなくて党派性を問題にしてるわけですよね。これも読めばわかることですね。そもそもろくに読んでいないということが丸分かりなわけですね。


それにしてもわからないのは「個人に対して批判をすれば事足りるはず」というけれど、それは、その批判に該当する人は確かに存在すると認めているように見えるけれど果たしてそうなのかということ。そうであればなぜリフレ派内でもっと積極的に批判しないのかということですね(俺の知らないところで活発に批判合戦してるのかもしれないけれど寡聞にして知りませんね)。

仮に小馬鹿にする意図がなかった場合でさえ、詳しくない第三者が見かければ「リフレ派」に対するネガティブなイメージを与えかねない。世の中には、はてブのタイトルだけ見る人も多くいる。

「りふれは」という表現が気に入らないなら代案を示すべきじゃないですかね?「片手の指で足りる程しかいない」のかもしれない(本当か?)けれど、どっちも「リフレ派」と呼ぶのなら、それこそ世間にネガティブなイメージを与えかねないと思いますけどね。