最低賃金廃止の素朴な疑問(つづき)

そもそも最低賃金を廃止するなどという主張は程度の差はあれ平等志向な左翼・リベラルからすれば到底受け入れられる話ではないだろう。だから、いくら最低賃金廃止のメリットを説いたところで、左翼・リベラルから転向するのなら別だけど左翼・リベラルでありながら賛成するなんてことは考えにくいと思われ。


一方、左翼・リベラル志向の人の批判も、そう言わざるをえないんだろうけれども、左翼・リベラル志向の人にとっては当たり前のことを主張しているだけであり、元から態度のはっきりしている自陣営の共感を得ることはできても、新自由主義志向の人には全く響かないと思われ。


つまり、議論はどこまでいっても平行線であり、政治は数で決まるものだから、要はどっちが多数派になるかということになるでしょう。そして多数派になるためには、個別のことではなくもっと根本的なイデオロギーについて議論して自陣営を支持する人の数を増やすことが結局のところ地道だが効果的だと思われ。


ただし、最低賃金廃止という公約については新自由主義志向であれば必ず支持されるものかというと、そうとは限らないところがあると思われ、左翼・リベラル陣営がこれを阻止するためには、自分たちにとって当然の主張をするだけではなく、新自由主義陣営の側の視点に立って「あなたたちはそれでいいのか?」という問いかけをするのが、上の地道な戦略とは別に効果があると思われ。しかしながら、俺のみた限りでは、そういうことをやっているのはhamachan先生くらいのものである。
OECDの最低賃金論再掲: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)


さて、hamachan先生が言わんとしているところは、要するに、最低賃金を廃止することによるメリットは新自由主義陣営においても明確ではないということであろう(と思う)。それは重要な点であろうと思う。ただし、新自由主義イデオロギー的には最低賃金廃止に効果があろうと無かろうと「正義」だということはあるのではないだろうか?可能な限り規制を排除しようとするのが新自由主義であろう(ちなみに俺は自称保守であり、国家による規制はできる限り少ない方が良いという主義なので、最低賃金廃止という考え方自体は理解できるのである)。


とはいえ、実際にそれをやれば生活が立ち行かなくなる人が出てくる。立ち行かなくなればどうなるかといえば、餓死するなり自殺するなりする「自由」がある。と言えば冷酷なようだが、もちろんそれだけではなく抵抗する自由だってある。また国家による福祉には否定的だが民間による福祉を否定するものではない。


ただし、国家による福祉が広範囲に実施されている現代において新自由主義・保守といえども、それを全否定することは理念・志向としてはあっても現実的ではない。
福祉国家の最大の受益者は中産階級 - 国家鮟鱇
ティーパーティー運動」などは別だろうが、一般の保守層は福祉の一部削減には賛成したとしても全廃となれば、歓迎するどころか抵抗するだろう。俺も抵抗する。


負の所得税」を唱えたミルトン・フリードマン新自由主義者だが、だからといって「負の所得税」が新自由主義の理想だというわけではなく、理念としてはそんなものはやるべきではないはずだ。にもかかわらず唱えるのはなぜかといえば、実現可能性のある方法として現在の福祉制度よりも新自由主義的にベストではないがベターだからということではないだろうか?


で、最低賃金の廃止という公約だが、もちろんこれも本来の新自由主義的に見れば公的な補償は望ましいものではないはずだ。それでもそれを加えるのはベストではないがベターだということだろう。


しかし、それが本当にベターなのか?というところがつっ込みどころだと俺は思うのである。公的な補償をすることによって新自由主義の理念に近付くどころか、かえって遠ざかるのではないかと俺には思えてしょうがないのである。