「ならぬものはならぬ」は原理主義?

ならぬものはならぬ・・・: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

いや、「ならぬものはならぬ」(@会津藩)、といえばいかにもいいことみたいに聞こえるけど、

現代語に訳すと「ダメなものはダメ」(@土井たか子)になっちゃうんですけど・・・。

そういう原理主義で国を滅ぼす美学の危険性を冷ややかに諭すのが保守派ってものの役割だったような気がするけど、それも遠い過去の記憶かしらん。

いや、「原理主義」も「ならぬものはならぬ」と言うかもしれないけれど、保守派も「ならぬものはならぬ」でしょう。ただし意味が違うんじゃないでしょうか?


「ならぬものはならぬ」と保守が言う場合は「理屈じゃないんだよ」ってことであります。「なぜ?どうして?」って疑問があったとしても「昔からそうだったんだからそうなんだ」ってことであります。道徳としては「君が個人的にどう考えようと勝手だけれどそれが社会のルールなんだから守りましょうね」ってことであります。


一方、「原理主義」者が「ならぬものはならぬ」と言う場合は、それが「絶対的に正しい」からであり、それ以外の正しさは存在しないのであります。もしそれに疑問を持つとしたら「それはお前が間違っているからだ」ということになるのであり、疑問を持つこと自体が否定されるでありましょう。


「国を滅ぼす美学」についていえば、保守の場合は「変える必要がある時には変える」か、もしくは滅びることを知りながらも美学を守り滅んでいくことになるでしょう。一方「原理主義者」の場合は最後の最後まで滅びるという現実を直視しないか、もしくは自己に問題があるのではなく他者に問題があるのだとして他者を恨みながら滅んでいくことになるでしょう。


※ なお会津の場合は会津という「国」が滅んだのではなくて、会津藩という「家」が滅んだ(斗南に移封され藩士が苦しんだ)ということであります。