一つ書き忘れていたことがあった。
「リスクのあることの決定はそれにかかわる情報を最も握る民間人の判断に任せ、その責任もその決定者にとらせるべきだ」
世の中にはリスクのある判断をしなければならないものがある以上、それは、それにかかわる情報が一番ある民間人の自由な判断にゆだねるほかないのです。でも、自由な判断であるかぎり、それがはずれて失敗する可能性は必ずあります。そうしたら、その責任は決定者にかぶらせなさい、そうでないとリスクの高い判断がどんどんされてしまいますよ──ということでした。
⇒なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1 | SYNODOS -シノドス-
ここにある「失敗」とは何か?
そうすると、間違った決定をして他人よりもソンする人がどうしても出ます。
ということだろう。ただし普通は「他人よりも」は必要なく「損する」でいいはずだ。これは中央当局が全てを決める世界と違ってという意味なんだろう。それはいい。
ここでいう「失敗」とは、売れると思って作った商品が売れなくて損失を出したというようなことを想定しているのだろう。つまり市場経済を前提にしているわけだ。
では、市場経済が機能しない世界ではどうなのかといえば、何者かがそれを「失敗」だと認定しなければならないだろう。つまり市場機能によるものではなく「何者かが決定者に失敗の責任を取らせる」という社会もありえるのである。