自由主義の要点?(その14)

まとめ

「リスクのあることの決定はそれにかかわる情報を最も握る民間人の判断に任せ、その責任もその決定者にとらせるべきだ」

というのは、それだけでは自由主義とは全く相容れない考え方にも適用できると俺には思えてしまうのである。


これだけでは、『リスクのあることの決定は「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」という原則によって、それにかかわる情報を最も握る人間が「社会全体の利益を考えて」判断し、「社会全体の利益を損ねたと当局(あるいは人民の一般意志)が判断した場合は」その責任をその決定者にとらせて処罰すべきだ』というように転換することだって可能ではないだろうか?


決定者は自らの決定が及ぼす広範囲の影響について考慮する必要はないということと、失敗した場合には「何者かの判断」で責任を取らせるのではなくて、市場機能によって期待するほどの収益を得られなかったとか損失を出したとかいったことでなければならないということが重要であろう。

下々の情報を把握しきらず責任もとりきれないのが当り前の政治権力者や官僚

なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1 | SYNODOS -シノドス-
とあるけれど、民間人だってもちろんそんなことは不可能だし、政治権力者や官僚よりも優れているということでもない。


つまり、人間には限界があるのだから限定された範囲において判断し責任を取ればよい。それと全体を調整する機能は市場が担当すればいい。その点が抜けているようにみえるから俺は違和感を持ったということ。