「原舎浜」は「原舎り濱」なのか?

俺が寄船慣行について知ったのは「うつろ舟」についての記事を見たときだったと思う(多分)。常陸の浜に鯨が漂着したという話があって、昔の人はそれを神からの贈り物と考えた云々。それに関連して漂着した船の荷物は土地の物となるとかいう説明もあったように思う。


それはともかく昨日の茨城新聞の記事
【茨城新聞】UFO「うつろ舟」漂着は波崎? 実在地名記載の新史料 「伝説の元の文書か」

江戸時代、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような物体と1人の女性が漂着したという伝説「うつろ舟奇談」をめぐり、漂着地の実在地名が記載された新たな史料が見つかった。漂着地は「常陸原舎(ひたちはらしゃ)り濱(はま)」と記されている。江戸時代の常陸国鹿嶋郡に実在し、伊能忠敬が作製した地図「伊能図」(1801年調査)にある地名で、現在の神栖市波崎舎利浜(しゃりはま)に当たる。研究者の間で漂着地の特定は難しいとされてきただけに、同史料の調査に当たった岐阜大の田中嘉津夫名誉教授は「まさか実在の地名が出てくるとは」と驚いている。

ちなみに「岐阜大の田中嘉津夫名誉教授」は『新・トンデモ超常現象60の真相』で「うつろ舟」の記事を担当している加門正一氏と同一人物。
委員 - ジャパンスケプティクス


常陸原舎り濱」という地名が「伊能図」にあるというので調べてみた。
古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)
確かに「常陸原」の「東下村」に「舎利」という地名がある。「常陸原の舎利(濱)」だから「原舎濱」。

田中名誉教授は「実在の地名『常陸原舎り濱』が、伝言ゲームのように間違って伝わったのではないか」と分析する。新史料について「これまでの色々な文書、伝説の元になった文書の可能性が高い」とみている。

そうなのかもしれない。


特に注目すべきは『兎園小説』で「はらやどり」となっていることで、「舎」を「やど」と読めば「常陸原舎利」を「常陸のはらやどり」と読んでしまった可能性は高いように思われる。