誰の「帰陣」なのか?

一  東州奉属平均之砌、 御馬・
   貴所以御帰陣同心候

の部分だけれど、「平均の砌」と「御馬」の間に空白部分があるらしい。原史料でも確かに空白がある(ように感じられる)。


これはたとえば江戸時代の史料で「東照宮」と書くときに前に空白があるのと同じことなんだろう。なぜ空白があるのかということを俺はちゃんとした解説を見たことがないので想像で言えば、相手が高貴な場合にそうするのだと思われる。


だとすると、この「御馬」は貴人を指すと思われ。ということは織田信長になるんだろう。斎藤利三はもちろん明智光秀のことでもないと思われ。あと考えられるのは近衛前久だろうがどうなんだろうか。


しかしこれを展覧会の解説にあるように「信長が帰陣したら」と解釈すると、信長はちょうど1月前の天正10年4月21日には安土城に帰陣しているので不思議だというのはTmさんご指摘の通り。