曽野綾子氏の南アフリカに対する認識

曽野綾子さん「アパルトヘイト称揚してない」:朝日新聞デジタル

 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。

本人がそう言っているのだからそうなんでしょう(もちろん嘘の可能性も無いとはいえないけれど)。しかしながら産経のコラムを読めば、「称揚」しているとまでは言えないかもしれないけれど、「肯定」しているようにみえてしまうこともまた事実なのである。


そこが非常に不思議なのだが、どうもこの謎を解く鍵は曽野氏と我々の持つ南アフリカに対する認識に大きなズレがあるからではないかと思われる。


「移民受け入れ」と「居住は別が良い」でSNS炎上、曽野綾子が23年前から主張していた「南アの住み分けは良かった」 | DailyNK Japan(デイリーNKジャパン)
によれば曽野氏は1992年に産経新聞

白人もカラードもアジア人も、生活程度はほぼ似たり寄ったりである。彼らにも当然収入の格差はあるが、いずれも、アッパー・ミドルの豊かな暮らしをしている。街路も整い、庭は花で溢れ、家は広くて清潔で快適である。金やダイヤモンドを牛耳っているような巨大資本の経営者は白人で、そういう人のお屋敷はまた別格であろう。しかしその程度の差はあっても、彼らはそれぞれの地区で十分に満ち足りた暮らしをしている。

という文章を寄稿しているという。すなわち、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカでは、(一部の白人の富豪を除けば)白人もカラードもアジア人も住み分けはあってもそれぞれの地区でおおむね同じレベルの暮らしをしていると。


だが、ここが良くわからないのだが、その後に

 しかし黒人地区だけが、我々の考える人間の住処のレベル以下である。(中略)

とも書いてある。(中略)の部分に何が書いてあったのか気になる。


推測するに、白人にも貧富の差がある。黒人にも貧富の差がある。しかるに黒人地区のレベルが低いのは白人と黒人の格差の問題ではなくて、黒人間の問題であるということだろうか?


ウィキペディアによれば

2009年、白人人口447万人の約10%にあたる約40万人[19]が貧困層となっており、プアホワイトと呼ばれる層が出現している。

南アフリカ共和国 - Wikipedia
とあり、白人にも貧困層がいるということだけはわかる。


俺は南アフリカについてそんなに詳しくないので、この認識に対して批評することができない(しかしおそらくは大事な点が抜けているのではないかと思われる)。


とにかく、曽野氏の認識としてはアパルトヘイト廃止後の南アフリカに人種間の差別や格差は存在せず、人種間の住み分けだけが存在するという前提があり、あえて黒人が白人が住むところに住むのはお互いの間に文化的な摩擦をひきおこすだけだと考えているように思われる。