徳川家康はマルコポーロだった!!

私は気づいてしまった。


下の二枚の画像をよく見比べていただきたい。
Wa Lam Temple Bodhidharma
(下の人物)


Mikatagaharasenekizou


おわかりいただけただろうか?


2人は同一人物である可能性が非常に高いのではないだろうか?


具体的に言えば、
(1)帽子をかぶっている
(2)髭を生やしている
(3)片足を組んでいる(半跏趺坐)
という部分。


いや割と本気で。


より正確に言えば、既に書いたように上の白黒写真の像は中国広東省広州市にある華林寺の五百羅漢の中の一体でマルコ・ポーロの像とされているもの。正式名称は「善注尊者」。


一方、下の画像は「徳川家康三方ヶ原戦役画像」通称「顰み(しかみ)像」。と言われるものだが、実は徳川家康の画像だという確かな根拠は存在しないというのが最近の学説。それではこの画像は一体何なのかといえば「礼拝図」という説はあるけれども具体的なことは何もわかっていない。


ここで俺は、この「しかみ像」と呼ばれる画像は善注尊者像であると、正確には善注尊者を武家風にアレンジした像であるという説を提示したい。


なお「しかみ像」と類似が指摘されている「大織冠像」(室町時代)も
Fujiwara-Kamatari-LACMA
(1)帽子をかぶっている(2)髭を生やしている(3)片足を組んでいる(半跏趺坐)という点で共通している。ただし、大織冠藤原鎌足画像は前方に二人の人物がおり、上部に円が七つ描かれており(北斗七星)摩多羅神として見た方が良さそうだが。


ところで、摩多羅神といえば大黒天との習合。大黒さまと言えば、髭を生やした穏やかな顔にふくよかな体で頭巾をかぶり、小槌と大きな袋を持って米俵に乗ってるというイメージがあるが、本来はそれとは全く異なる姿。

世界大百科事典 第2版の解説
だいこくてん【大黒天】
サンスクリットのマハーカーラMahākālaの訳で莫訶哥羅,摩訶迦羅天,また大黒神,大黒天神ともいう。摩醯首羅(まげいしゆら)(大自在天)の化身で戦闘の神。《大日経疏》においては毘盧遮那(びるしやな)仏の化身で灰を身体に塗り,荒野の中にいて荼枳尼(だきに)を降伏させる忿怒(ふんぬ)神であると説く。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部院に描かれる像は,その特色を反映するかのように身色黒色で焰髪が上に逆立った三面六臂の忿怒像である。
大黒天(だいこくてん)とは - コトバンク

荼枳尼と摩多羅も習合してるそうなので、「摩多羅=大黒天」が「摩多羅=荼枳尼」を退治するというおかしなことになってしまうが、それはそれとして、この忿怒神としての大黒天像として、大黒天半跏像がある。これまた(1)帽子(冠)をかぶっている(2)髭を生やしている(3)片足を組んでいる(半跏趺坐)という点で共通している。


「忿怒」という点において、

松島仁もこれを支持、本図は神格化された家康像であり、異様な姿態は半跏思惟であり、異様な表情は「忿怒」を表しているとした[7]。
徳川家康三方ヶ原戦役画像 - Wikipedia

とあり「しかみ像」を「忿怒」とするならば大黒天半跏像との類似性が高くなる。なおかつ手には持ってないが剣を持ってるところも類似といえば類似。


ところで、よく指摘されるところの半跏思惟像について。たしかに「しかみ像」と似ている。俺も最初に連想したのはこれであった。しかしながら大きな相違点がある。それは中宮寺の半跏思惟像は目を閉じて(伏せて?)いるのに対し、「しかみ像」は目を見開いていることである。思惟像なのに目を見開いているなんてことがあるだろうか?
Bodhisattva Chuguji


なお半跏思惟像は右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿をしているのに対し、「しかみ像」は左の掌をぴったり左頬に当てているという点も相違している。で、ここで非常にややこしいのだが、原史彦氏の論文「徳川家康三方ヶ原戦役画像の謎」(『金鯱叢書』第43輯)に

ただし、松島氏が着目した大織冠像、すなわち藤原鎌足像が右足を上げた半跏像であること、半跏の礼拝像の一つ如意輪観音は、中世において聖徳太子の生れ変わりとされてきたという指摘に注目する。

とあることで、ここに如意輪観音がでてくる。検索して如意輪観音の像を見ると、右の掌または拳ではあるが頬にぴったりと当てている姿が多くみられるのである。これは比較的「しかみ像」に近い。ところが、如意輪観音像は半跏ではないのだ。原氏は「右足を上げた半跏像」とするが右足を上げただけでは半跏ではない。正式名称は知らないが通常「片膝立」と呼ばれるものに近い。

出典:デジタル大辞泉
結跏趺坐 (けっかふざ) の略式の坐法。片足を他の片足のももの上に組んで座ること。菩薩坐 (ぼさつざ) 。半跏。半跏坐。
はんかふざ【半跏趺坐】の意味 - goo国語辞書

NYOIRIN KANSHINJI


で、問題は有名な中宮寺の半跏思惟像で、これは確かに半跏である。中宮寺のHPに

国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)
中宮寺について | 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ

とある。しかしながら、これは弥勒菩薩であろう。

本尊。飛鳥時代の作。像高132.0cm(左脚を除く坐高は87.0cm)。広隆寺弥勒菩薩半跏像とよく比較される。寺伝では如意輪観音だが、これは平安時代以降の名称で、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる。
中宮寺 - Wikipedia

結局のところ、弥勒菩薩半跏思惟像と「しかみ像」の共通点は半跏のみ。如意輪観音像と「しかみ像」は手の形が似ているが半跏ではないということになる。


似てるといえば似てる、似てないといえば似てないというレベルの話であり、


このレベルが許されるのなら家康とマルコポーロは似ているという話をしても問題なかろう。実際似てるんだから。


※ 地蔵菩薩半跏像に頬に手を付けたものがある。
"地蔵菩薩" "半跏像" - Google 検索
ただし、半跏像といいつつ如意輪観音と同様に片膝立であり、如意輪観音との混同ではないかと思われ。