公務員と士農工商

これは前にも書いたことがあるんだけれど、江戸時代に庶民が政治に口出しすることは禁止されていた、と言われる。


しかし考えてみると江戸時代の一揆は何なんだって疑問がある。お上は一揆を一方的に弾圧したと思ってる人もいるかもしれないけれど、実際はそうでもない。一体どういうことかと考えるに、ここでいう「政治」とは天下国家についての政治という意味じゃないかと思ってる。すなわち税金が高いとかいった庶民に直接関係する話ではなくて、外交政策とか、幕府の人事とか、税金の使い道とか。まあ税金の使い道などは現在の感覚では庶民に直結するといえるけれど。


で、なぜ庶民が口出ししてはいけなかったのかというと、普通に連想するのは「お上にとって都合が悪いから」ってことで、それはそうなんだろうけれど、俺は「家業に専念すべし」って道徳のせいでもあるように思われ、すなわち天下国家について考えるのは「士」の役割であって、農民は農業について、商人は商業について、職人はその職についてのことを考えれば良いのであって、他のことに関心を持つべきではないってこと。武士は武士で利殖について考えるのはいけないみたいな考えがあったみたいだし(実際はそうでもなかったという話もあるけど)。


ここまで全て推測であって裏づけがあるわけではない。


で、「士」というのは本来「武士」のことではない。
士 - Wikipedia
士大夫 - Wikipedia


士大夫の説明が興味深い。

彼ら士大夫は、自らの学識を持って出仕したという自負心からか、唐代以前に比べて自らの力をもって国家を支えるという気概を持っていた。そのことを表す有名な語として、范仲淹の「先憂後楽」がある。范仲淹は後世に士大夫の理想像として仰がれた人物であり、この語の意味は「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみの後に楽しむ」という、天下国家を自らが背負うという意気込みが表れた語である(後に後楽園の名称の元となった)。宋4代仁宗期には、范仲淹を初めとして数々の名臣と呼ばれるものが登場し、政界で活躍した。その様は、朱熹によって『宋名臣言行録』に綴られている。


現在の日本は民主主義であり国民が主権者である。国民が政治に口出ししてはいけないということはもちろん無い。むしろ政治に関心を持たなければならないとされている。政治を批判するのは国民である。あるいは国民を代表する政治家であり、あるいは市民団体などである。彼らはその権利を所有している。では公務員はどうか?もちろん公務員も国民の一人であるからして、その意味では一国民として政府を批判する権利はある。しかし、政治家と違って国民によって選ばれたわけでもないのだから、それ以上の権限があるわけではない。


だが、公務員自身も、また一般人の公務員を見る目も「士大夫」として見ているようなところがあるんじゃなかろうか?


政府を批判する官僚を更迭するなどと聞くと「まるで封建主義みたいだ」なんて批判がある。ところが、その時その人は「殿様にあえて苦言を呈する家臣」みたいな封建主義的なものを理想としているんじゃなかろうかと思ったりする今日この頃。