范可(斎藤義龍)について(その5)

范可(斎藤義龍)について(その3) - 国家鮟鱇

 の追記でMMRガイドラインにちょっと触れた。リンク先のスレッドの2(1は面倒なので飛ばす)

ton.5ch.net 

ネタを解説するのは野暮なことだが、一応解説。まず「2ちゃんねる」という単語がある。「2ちゃんねる」とは何かは説明する必要ないだろう。しかし我らがMMRは、この単語の裏に隠された秘密を探求する。ローマ字で表記し「2Channel」。さらに逆にして「lennahC 2 」。こういうのをアナグラムという。さらに小文字(と書いてるけど実際は子音)だけを取り出し「ea」。日本語に直し「えあ」。もはや原型をとどめない。

 

ここまでで十分おかしいが、ここからがMMRガイドラインの真骨頂。この「えあ」の末尾に「ノストラダムス」を加え、さらに意味不明な「えあ」を削除し残ったのが「ノストラダムス」。おわかりだろうか?って、まあ普通わかりますよね。元の単語由来のものは最後には跡形もなく消え去って、途中から加えられたものだけが残っているのだ。

 

 

で、「范可」について。何度でも繰り返すが『信長公記』に斎藤義龍が唐の「はんか」という人物にあやかって自身も「はんか」と名乗ったとは、少なくとも直接的には書いてない。原文を見れば必然的にその結論「あやかった」が導かれるというのなら別だが、別の解釈も十分可能なのにもかかわらず、なぜか「あやかった」説が主流となっている。

だが「あやかった」で解釈すると、『信長公記』のその部分の記述と整合性に大いに問題がある。明らかに法号だとされてるのに人名にあやかったという不自然さ。親を殺して「孝」となったという唐の「はんか」にあやかることで義龍が何がしたいのか意味不明。「はんか」とひらがなで書いている謎。

 

そういう問題を解決するためにどうすべきか?「あやかった」という解釈を見直すべきだと俺は確信する。

 

一方、別の方法もあるのかもしれない。『信長公記』(特に首巻)が、必ずしも信用できないことを理由に「こう書かれているけど真実はこうだったのだ」と「あやかった」説と整合性があるように修正するという方法だ。

 

※横山住雄氏が「父の頸を切って考をなした唐のはんか」だったものを単なる「父殺し」としてしまったのも、そうしないと義龍が「はんか」と名乗る理由が説明できないと判断したからではないかと推測する。

 

しかし、そうやって「修正」された『信長公記』はもはや元の『信長公記』とは全くの別物になってしまうではないか。残ったのは、既に書いたように『信長公記』には明確に書かれていない唐の「はんか」に義龍はあやかったという解釈のみであり、俺から言わせてもやえば、これはもうMMRガイドラインと同じく、元の話が跡形もなく消え去ったということになる。

 

また百歩譲って、『信長公記』が「あやかった」と書いてるのだとしても、その他の部分を大幅に修正しなければならないような信頼度の低い記事であるなら、その「あやかった」の部分だって信用できないということになるではないか。

 

もちろん「可能性」があることは否定できない。しかしその「可能性」を採用するなら、もはや何でもありであって、あの有名なスペインのキリストのフレスコ画のおばあちゃんの修復に匹敵するような史料の「修正」であっても可能性を主張できてしまうであろう。