吉本ばななさんの本当に言いたいことが正しく伝わっていない

引き続きばなな論争
よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。
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いくつか関連記事読んだが、吉本ばななが結局何を言いたいのかわかっている人ってほとんどいないと思う。まあ、わからなくたって吉本ばななの態度が気に入らないとか、居酒屋のサービスはどうあるべきかとかの議論はできるんだけれど。


なぜ、みんな吉本ばななの言いたいことがわからないのか。それは吉本ばななが何を言いたいのかわかりにくいからだ。そこで各自が補正して、吉本ばななが言いたいことはこういうことなのだということにして、それを元にあれこれと論じているのだ。


吉本ばななは何と書いているのか。

  • 吉本ばなな一行が居酒屋で持ち込みワインを飲もうとした。
  • バイトに言ったら了承してくれたが、店長の知るところとなり、バイトが店長に怒られた。
  • 店長に事情を話して直接交渉したが、店長からの許可は得られなかった。


ここまでは誰だって理解できるだろう。次に彼女が書いているのは、こんな融通の利かない店は潰れるということだ。ここが問題だ。潰れないでのさばるというなら(彼女にとって)困ったことだが、淘汰されて(彼女にとって)サービスの良い(個人営業の)店が残るのなら大変よろしいことであるって普通考えるんじゃないか?


しかし、そういうことでもないらしい。ここが理解しにくいので、俺の脳内補正を入れるしかないのだが、彼女には、潰れてもまた新しい融通の利かない居酒屋ができるという認識があるようだ。


だが、次に、こういうことをしていては「もうけが出るはずがない」と書いている。誰のもうけかという主語がないのだが、潰れた店に「もうけが出るはずがない」のは当たり前だから、そういうことではなく、居酒屋チェーンに「もうけが出るはずがない」ということだろう。


俺の認識では「もうけが出るはずがない」居酒屋チェーンは淘汰されると思うので、店舗の場合と同じく、サービスの良いところが残るはずであり、やはりこれも結構なことだと思うのだ。しかし、彼女の場合にはそうではないらしい。


なぜ彼女がそう考えないのかということは、やはり脳内補正するしかないのだが、現実には居酒屋チェーンが淘汰されていないからだろう。現実に淘汰されているのは個人店舗の方だ。なぜそうなっているのかというと普通に考えれば客がそっちを選んでいるからということになると思うが、それを採用すると今まで書いてきていることと矛盾してしまう。では彼女はどういう仕組みで「もうけが出るはずがない」居酒屋チェーンが生き残っていると考えているのかというと、これも脳内補正するしかないのだが、俺の知能では想像もつかない仕組みによってそうなっているのだろう。


というわけで、吉本ばななが本当に言いたいことは、実は俺もいまだにわからない。

現代的なのか?中世的なのか?

日本に古くから伝わる良き伝統だと一般に思われていることが、実はそうではなく明治以降になってからのものだったって話は近頃よく聞く話。たとえば終身雇用とか。


そんなわけで、なんとなーく現代の風潮だなんて感じても、それは本当に現代の風潮なのか疑ってみなければならないというのが現代流。


で、また吉本ばなな


よしもとばななさんの日記と世界観を肯定的に考えてみる - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記


要約すれば配送業者に手伝おうかと提案したら断られたという話。で、ばななさんは、

ほんとにばかみたいな世の中になっちまった…。

自分にはなんの権限も判断もしない、ロボットみたいな変な仕事を毎日汗水たらしてする人たち。持ってきたものの無事やその家庭に家電が入って喜ばれることよりも、責任問題のほうが大事な人生。かわいそうだなあ。

と嘆いている。昔は良かった、現代はおかしいということでしょう。なるほど、そう言われると現代風に見える。大量生産・大量消費の世の中で、仕事は分業化され、人は社会の歯車と化してしまったと。そして、現代の風潮としてばななさんの意見に賛成する人もいれば、批判する人もいるでしょう。


しかし、上に書いたように、これが本当に現代の風潮なのかを疑ってみる必要もあるんじゃないかと、俺には思えるのだ。でも、俺にはそれを判断するほどの知識がない。問題提起をするのみだ。


この文章を読んで、連想したのは、日本人がアメリカだったかヨーロッパだったかに行って、会社で隣の人が忙しそうにしていて、同僚がが暇そうにしていても決して手伝おうとはしないのを見て驚いたという話。あるいは、外務省の駐在員の奥さんだったかが、メイドの仕事を手伝おうとしたら、仕事を奪わないでくれと言われたというような話。多分多くの人が耳にしたことがあると思う。これって、本当に外国じゃそうなんですよね?自信ないけど、ありそうな話ですよね。


で、そういうのって現代的なのかといったら、そうではないでしょう。これは中世的な職業の排他的特権みたいな考え方から来ているんじゃないんでしょうかね?よくわからないけれど。そんで翻って日本ではどうだったかといえば、やっぱりそういうのってあったんじゃないんでしょうか?特に職人の世界では。そして、そういう特権を廃止して、誰もが参入の容易な社会を作っていったのが近代化というものじゃないでしょうか?


というわけで、手伝いを断った配送業者というのは、現代的な分業化によって、権限を奪われた哀れな人達なのか、それとも、前近代的な職人気質の名残であるのか、一体どっちなんだろうという疑問が湧くわけです。特に配送業などは引越しの際にチップを払うとか、お茶を用意するとか、コンビニエントでドライな現代の中で「古風」なところがある業界じゃないですか。


俺にはその判断がつきかねるんですけど、ちょっとその辺考えてみる必要あるんじゃなかろうかと、そう思うのであります。