現代的なのか?中世的なのか?

日本に古くから伝わる良き伝統だと一般に思われていることが、実はそうではなく明治以降になってからのものだったって話は近頃よく聞く話。たとえば終身雇用とか。


そんなわけで、なんとなーく現代の風潮だなんて感じても、それは本当に現代の風潮なのか疑ってみなければならないというのが現代流。


で、また吉本ばなな


よしもとばななさんの日記と世界観を肯定的に考えてみる - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記


要約すれば配送業者に手伝おうかと提案したら断られたという話。で、ばななさんは、

ほんとにばかみたいな世の中になっちまった…。

自分にはなんの権限も判断もしない、ロボットみたいな変な仕事を毎日汗水たらしてする人たち。持ってきたものの無事やその家庭に家電が入って喜ばれることよりも、責任問題のほうが大事な人生。かわいそうだなあ。

と嘆いている。昔は良かった、現代はおかしいということでしょう。なるほど、そう言われると現代風に見える。大量生産・大量消費の世の中で、仕事は分業化され、人は社会の歯車と化してしまったと。そして、現代の風潮としてばななさんの意見に賛成する人もいれば、批判する人もいるでしょう。


しかし、上に書いたように、これが本当に現代の風潮なのかを疑ってみる必要もあるんじゃないかと、俺には思えるのだ。でも、俺にはそれを判断するほどの知識がない。問題提起をするのみだ。


この文章を読んで、連想したのは、日本人がアメリカだったかヨーロッパだったかに行って、会社で隣の人が忙しそうにしていて、同僚がが暇そうにしていても決して手伝おうとはしないのを見て驚いたという話。あるいは、外務省の駐在員の奥さんだったかが、メイドの仕事を手伝おうとしたら、仕事を奪わないでくれと言われたというような話。多分多くの人が耳にしたことがあると思う。これって、本当に外国じゃそうなんですよね?自信ないけど、ありそうな話ですよね。


で、そういうのって現代的なのかといったら、そうではないでしょう。これは中世的な職業の排他的特権みたいな考え方から来ているんじゃないんでしょうかね?よくわからないけれど。そんで翻って日本ではどうだったかといえば、やっぱりそういうのってあったんじゃないんでしょうか?特に職人の世界では。そして、そういう特権を廃止して、誰もが参入の容易な社会を作っていったのが近代化というものじゃないでしょうか?


というわけで、手伝いを断った配送業者というのは、現代的な分業化によって、権限を奪われた哀れな人達なのか、それとも、前近代的な職人気質の名残であるのか、一体どっちなんだろうという疑問が湧くわけです。特に配送業などは引越しの際にチップを払うとか、お茶を用意するとか、コンビニエントでドライな現代の中で「古風」なところがある業界じゃないですか。


俺にはその判断がつきかねるんですけど、ちょっとその辺考えてみる必要あるんじゃなかろうかと、そう思うのであります。